(その十三)人生の両面性

人生でのすべての出来事は必ず両面性を持つのに、人間は一面しか捉えない悪癖を有する。
病気になることは、一面ではよくないことだが、他面では警鐘を意味している点ではよいことだ。
熱を出すことは風邪という病気に掛かったことを意味するよくない一面を持つが、他面では発熱は養生せよという警鐘をも意味して、放置しておけば肺炎になる危険を避けることができる点ではよい面でもあるからだ。
伊吹山中で、ヤマトタケルノミコトは悔恨の念に違いなかった。

嬢女の 床の辺に 我が置きし つるぎの太刀 その太刀はや
(美夜受媛の家に置いてきてしまった太刀よ、ああ、今それがあったなら!)

だが、ヤマトタケルノミコトは「日本誕生」の立役者と賞賛されて後世に、その名を残した。
ヤマトタケルノミコトは、九州での熊襲退治の最大の助太刀をしてくれた草薙の剣を若しも保持していたら、伊吹山中で憤死しなかったかもしれないと思ったのだろう。
だから、“その太刀はや(ああ、今それがあったなら!)”と悔やんだに違いないが、その後の彼の人生が果たして順風満帆であったかどうかの保証はない。
日本書紀の筆者の流れを汲む者が、その後の日本の歴史を捏造したのだから、恐らく、遅かれ早かれ、ヤマトタケルノミコトの名は消されていたであろうことは、容易に推測できる。
歴史はまさに反転の繰り返し劇に他ならない。
恵美子にとっても、二人の兄の人生とまるで正反対の人生を親の所為で送らされてきたことに否定の念を持ち続けてきたが、実態は両面性を持っていたに違いない。
榊原温泉の福沢綾子から草薙の剣が送られてきたときの手紙にそのヒントがあったからだ。