(その十二)運命の年

1905年。
特許庁の公務員であったアルバート・アインシュタイン26歳は三つの論文を発表した。
まず3月に「光量子仮説」を発表、光は波ではなく、粒であるとした。
次に4月に「ブラウン運動」の研究論文で気体や液体の原子の大きさを推定できると発表した。
その結果、原子や分子の実在性の証明につながった。
そして、いよいよ運命の6月に「光速度一定の原理」を発表した。
後にドイツの物理学者マルクス・プランクによって名付けられた「(特殊)相対性理論」の核になる原理だ。
ところが、
1887年にアメリカの物理学者A.AマイケルソンとE.Wモーリーの二人の実験(マイケルソン・モーリーの実験)によって、光の速さはそれを見る人の速度に左右されないことが証明されていたのである。
1905年6月の特殊相対性理論の発表後、アインシュタインは、マイケルソン・モーリーの実験結果を知らなかったと述べた。
実際の実験を行うのではなく、思考実験によって真理に辿りついたと云うわけである。
まさに、1905年は20世紀を左右する運命の年であった。