(その十二)アインシュタインの訪日

1922年(大正11年)の11月から12月にかけて、相対性理論のアルバート・アインシュタインが日本を訪問した。
当時、総合雑誌「改造」を出版していた改造社の社長・山本実彦氏の招聘に応じてのものだった。
アインシュタインは、もともと日本に深い関心を寄せていて、特に京都に対する関心は相当なものであり、京都博覧会を見学したかったのである。
神戸に到着後、アインシュタインは京都を皮きりに、東京、仙台、日光、名古屋、大阪、奈良、広島、門司などを6週間でめぐり、各地で講演を行った。
湯川秀樹や朝永振一郎といった、後にノーベル賞を受賞する若き科学者たちも、アインシュタインの講演を聴いて、理論物理学を志すようになった。
一方で、相対性理論は「恋愛に関する理論」だと誤解され、一般日本人にもアインシュタイン人気に拍車をかけた。
「相対(あいたい)」という日本語は「男女の仲」という意味を持ち、「性」とは、まさに、「性(セックス)」であったことから、「相対性理論」とは「男女のセックス観」というわけである。
日本全国で熱烈な歓迎を受けたアインシュタインは、すっかり日本が気に入った。
個人主義が強い西洋と違って、家族愛や同胞愛が強く、長い歴史と気高い国民性を持つ日本人は将来世界の指導者になれるだろうと絶賛した。
「自分たちを西洋人より優位に立たせている偉大な遺産、つまり、暮らしを芸術に形づくること、個人が必要とするものの質素さとつつましさ、日本人の魂の純粋さと穏やかさを純粋に保つことを忘れないように・・・」と述べて、日本を離れた。
日本がいたずらに西洋化して、日本人らしさ、日本独自の良さを失わないでほしいと訴えたのである。