(その十二)京都博覧会

鹿ヶ谷哲夫は二人に象徴的な話をしてくれた。
「人生の中ですべてを捨てる勇気を奮わなければならない時がある。
若い内にすれば意味のある人生が待ってくれるが、老いた中では意味のある人生といえども時間が限られている」
恵美子は去年の5月の『鴨川踊り』のことを思い出した。
『仕込み』から『舞妓』になった時も、『舞妓』から『芸妓』になった時も、先斗町の歌舞練場で毎年5月に催されるのが『鴨川踊り』だ。
一昨年までは、ただの人形のような想いで踊っていたが、去年だけは心をこめて踊っていた。
本当の自分に気づいたのが去年の『鴨川踊り』だったからである。
理由は明白だ。
藤堂頼賢と出逢ったからである。
鹿ヶ谷哲夫は言う。
「人生には運命と宿命があると言う。
運命は自分で変えることが可能だが、宿命は自分ではどうすることもできないと言う。
人生という一つの流れの中で、流れを変える運命などあるのだろうか。
大海の波はどうして生まれるのかを理解していたら、運命などあろうはずがないことがわかる。
風が吹くから波が生まれるのだ。
凪とは風が止まることだ。
エゴの自分とは、大海の一つの波だ。
大海の一つの波が大海の流れを変えるなど笑止千万だ」
鹿ヶ谷哲夫は物思いに耽っている恵美子に声をかけた。
「何か思い出すことがあったのかね?」
完全に見透かされていると思った恵美子は正直に答えた。
「はい、去年の『鴨川踊り』を思い出していたんです」
鹿ヶ谷哲夫は意を得たりと話はじめた。
「明治5年(1872年)。
江戸に日本の首都を奪われた京都の繁栄を願って仙洞御所で開催された京都博覧会の一環と名打って、観光客誘致の一助として、新緑の京都を美しく彩る『鴨川踊り』が創演された。
爾来、一世紀に亘って継承され、豪華絢爛の舞台と舞妓姿の茶席は、京情緒が洗練の美を誇る京都の年中行事の一つである。
美しく楽しい華舞台、興趣の内容を盛った舞踊劇と艶麗京情緒の踊り、豪華絢爛の絵巻物語は、国内はもとより海外まで知られていて、今や京都の初夏に欠くことのできない重要な行事だ。
特に、『鴨川踊り』の茶席の風流は踊りの情緒を一層深くする。
立礼式で行われる茶席は、明治5年仙洞御所で開催された博覧会で、裏千家11代家元、玄々齎宗匠が外人客の接待のお茶のために考案された「点前作法」である。
現今緒流で行われている「椅子点前」と称する作法は、凡て、この立礼式が規範になっている」