(その十二)迷い道

光は暗闇の不在概念に過ぎない。
光は暗闇の無い状態を言い、暗闇が実際在って、光など無い。
一般には、光の不在概念が暗闇、つまり、光が実際在って、暗闇など無いと捉えられている。
真暗な部屋に一本のマッチをすれば部屋は真暗でなくなるから、光の不在概念が暗闇だと思い勝ちだ。
宗教の世界では光一元の神的存在になっている所以がここにある。
日本の天照信仰も太陽信仰、つまり、光信仰だ。
世界最古の宗教と言われているゾロアスター教は火を信仰する拝火教、つまり、光信仰である。
光が実在するもので、光の無い状態、つまり、不在概念を暗闇と理解しているのである。
不幸な時、光明を照らすと、不幸という闇が消えると説くわけだ。
失恋(暗闇)を癒す(消す)一番の薬は新しい恋をする(一点の光を照らす)というのも同じ発想である。
一見尤もなことのように思われるが、これこそが、人間が錯覚に落ちる脅迫観念の罠なのだ。
生きることと死ぬことの間を往ったり来たりすることで苦痛を感じる結果、生きることに対する欲望が生まれる。
善いことと悪いことの間を往ったり来たりすることで苦痛を感じる結果、善いことに対する欲望が生まれる。
強いことと弱いことの間を往ったり来たりすることで苦痛を感じる結果、強いことに対する欲望が生まれる。
賢いことと愚かなことの間を往ったり来たりすることで苦痛を感じる結果、賢いことに対する欲望が生まれる。
金持ちと貧乏の間を往ったり来たりすることで苦痛を感じる結果、金持ちに対する欲望が生まれる。
幸福と不幸との間を往ったり来たりすることで苦痛を感じる結果、幸福に対する欲望が生まれる。
天国と地獄との間を往ったり来たりすることで苦痛を感じる結果、天国に対する欲望が生まれる。
健康と病気との間を往ったり来たりすることで苦痛を感じる結果、健康に対する欲望が生まれる。
神と悪魔との間を往ったり来たりすることで苦痛を感じる結果、神に対する欲望が生まれる。
・・・・・・・・・との間を往ったり来たりすることで苦痛を感じる結果、・・・の一方に対する欲望が生まれる。
生きている中で起こる四苦八苦の発生原因はすべてこの錯覚にある。
「死ぬこと」、「悪いこと」、「弱いこと」、「愚かなこと」、「貧乏」、「不幸」、「地獄」、「病気」、「悪魔」といった実在するものを否定概念にし、「生きること」、「善いこと」、「強いこと」、「賢いこと」、「金持ち」、「幸福」、「天国」、「健康」、「神」といった単なる不在概念であり、実在もしないものを求める。
「無いものねだり」をすることが四苦八苦の原因であるのに、その錯覚の罠に落ちている。
実在しない、無いものを「好いもの」という肯定概念にし、実在するものを「好くないもの」とする否定概念にした、言葉によるボタンの掛け間違いによって生じた脅迫観念の所為なのだ。
光が実在で暗闇は光の不在概念という、本末転倒の論理になってしまったのが、宗教なのだ。