(その十二)近代社会の迷い子

主観の生き物・人間が、何故迷い・四苦八苦の生き物になったのか。
人間は、知性の獲得によって、文明の進化を果たしたように錯覚してしまったようだ。
極論すれば、文明の進化とは錯覚症状の亢進と言い換えてもよいわけで、生理学上では、病状の悪化と同じである。
先進国になればなる程、錯覚という病状は悪化すると言っても過言ではない。
日本社会を振り返ってみても、太平洋戦争敗北後の昭和20年代は、物質的には貧しい国だったが、精神的には敗戦前の日本よりも豊さがあった。
その豊かさの背景には、物質的な豊かさは精神的な貧しさを誘発し、物質的な貧しさは精神的な豊かさを誘導するという、真理の逆説性を呈しているわけだ。
“大は小を兼ねる”という真理の逆説性である。
金持ちには金持ちしか味わえない喜びがあり、貧乏には貧乏しか味わえない喜びがある。
ところが、人間はこう考える。
金持ちは金持ちの喜びも、貧乏の喜びも両方味わえるが、貧乏は貧乏の喜びしか味わえず、金持ちの喜びは味わえない。
だから、金持ちに憧れる。
つまり、“大は小を兼ねる”という真理だ。
ところが、“大は小を兼ねる”は真理の逆説性を真理とする。
つまり、貧乏は貧乏の喜びも、金持ちの喜びも両方味わえるが、金持ちは金持ちの喜びしか味わえず、貧乏の喜びは味わえない。
これが、真理の逆説性である。
つまり、“小は大を兼ねる”という真理だ。
先進国は物質的な豊かさはあるが、逆に、精神的には、後進国の方が豊かだ。
つまり、“小は大を兼ねる”のが真理であり、“大は小を兼ねる”は真理の逆説性である。
そのバローメーターが錯覚症状の亢進、つまり、文明の進化に他ならない。
文明が進化した国、つまり、先進国になればなるほど、そこの国民の錯覚症状はますます亢進していくことになる。
錯覚症状は、国家レベルのみならず、社会レベル、会社レベル、家族レベルといった組織レベル全体に及び、最終的には国民ひとり一人の個人レベルまで及ぶと、その国家は崩壊の最終段階に入る。
差し当たり、個人レベルまで錯覚症状が蔓延している国は、アメリカと日本であり、嘗て、国民総生産(GDP)トップ5に入っていたドイツ・フランス・イギリスは不幸中の幸いにも、個人レベルの錯覚症状まで及んでいないのに対して、アメリカ、日本に次ぐ国民総生産(GDP)にまで達してきた中国が個人レベルの錯覚症状にまで及んでいる。
先進国ほど錯覚症状が最も亢進しているわけで、近代社会の幕が「産業革命」によって開けられたように、先進性とは科学力と言ってもいいだろう。
結局の処、科学が最も性質(たち)の悪いものであることに気づいていないから先進国になれるわけで、錯覚症状の最も亢進した、「迷える」国家であるわけだ。
近代社会以降、主観の生き物・人間が、科学の所為で、迷いの生き物になったのである。