(その十二)狢(むじな)社会

政治と宗教、宗教と科学、科学と政治。
これらはみんな二元要因に外ならない。
つまり、政治も宗教も科学もみんな同じ穴の狢に過ぎない。
何故なら、量的優位性を追いかけているからだ。
つまり、数の多さを競っているからだ。
民主主義という多数決の原理を金科玉条にしているのが政治である。
信者数の多さを競っているのが宗教である。
客観性、つまり、多くの同一意見を競っているのが科学である。
数の多さを競えば、質は低下する。
量的優位性=質的劣位性
素粒子のミクロ世界から宇宙のマクロ世界まで貫く法則である。
現代科学はナノ世界とかナノ技術とか言って騒いでいるが、所詮、10億分の1(10-9)の世界の話であり、理論上では10-∞の話までできるが、実用上ではやっとナノ世界(10-9世界)まで達しただけのことで、これも数の多さを競っている証明である。
現代社会は数の多さを競う社会と言っても過言ではない。
経済においてもそうであり、その極みが拝金主義だ。
お金持ちになることが好いことだと、子供までが信じている。
拝金主義の極みを「超拝金主義」と言う。
お金持ちの数は少ない。
つまり、質的優位性=量的劣位性
貧乏の数は多い。
つまり、質的劣位性=量的優位性
数の少ないお金持ちを競うなら道理(ミクロ世界からマクロ世界を貫く法則)に適っているが、老若男女、ガキまでがお金持ちになりたがる。
質的優位性=量的優位性は絶対不可能だ。
絶対不可能なことを追い求めているから「超拝金主義」と言うのである。
人間だけに悩みや四苦八苦があるのは、“無いものねだり”するからだ。
「超拝金主義」とは“無いものねだり”に外ならず、政治も経済も宗教も科学も・・・みんな“無いものねだり”をしているに過ぎない。
現代の人間社会自体が、同じ穴の狢になってしまっている。