(その十二)二十一世紀の意義

宗教と科学は、所詮、同じ穴の狢に過ぎない。
程度の差だけである。
宗教の程度の差が66.666・・・%で、科学の程度の差が33.333・・・%だから、近代社会では、科学に軍配が上がっているだけだ。
古代・中世では宗教が演じたことを、近代・現代では科学が演じているだけのことで、宗教も科学も同じ穴の狢であって、被支配者、つまり、一般大衆を盲信させることが狙いであることに変わりない。
古代・中世では立憲君主制であったのが、近代・現代の人間社会では民主主義の共和制になっても、「支配・被支配二層構造」と「世襲・相続の差別制度」に何ら変わりない。
況んや、現代でも立憲君主制の国家があり、日本もその化石的国家の一つである。
宗教が権力を持った中世に対するアンチテーゼとして近代社会の担い手・科学が誕生した。
アンチテーゼとは二律背反と同義語だから、宗教と科学は二元要因に外ならない。
間違った「二元論」は二元要因を二律背反、つまり、アンチテーゼと捉える。
正しい「二元論」は二元要因を補完要因、つまり、プロテーゼと捉える。
何れにしても、宗教と科学はコインの裏表の関係に過ぎない。
宗教と政治がやはりコインの裏表の関係であり、嘗ては「祭政一致」というプロテーゼの時代もあり、その反動で、「政教分離」というアンチテーゼの時代もあるように、要するに、二元要因に変わりない。
近代・現代では、政治と宗教、科学と宗教は、一見、相容れない同士のように思われ勝ちだが、実は、みんな同じ穴の狢だったのである。
この落とし穴を埋めることが、二十一世紀に登場する「新しい人間」の責務である。