(その十二)宗教と科学の欺瞞

光を絶対的なものと捉え、それ以外のものはすべて相対的と捉えるのが相対性理論である。
映画のメカニズムを考えればよくわかるが、映画、つまり、動画面(アニメーション)という映像をスクリーンに映し出すには、映写フィルム、つまり、静止画フィルムが要る。
静止画フィルムがあっても、映写機が無ければ動画面(アニメーション)を映し出すことはできない。
映写機とは、映写フィルム、つまり、一枚一枚の静止画フィルムを早送りして、更に、早送りしている一枚一枚の静止画フィルムに光を当てて、スクリーンに動画面(アニメーション)を映し出すのがその役目だ。
我々は、スクリーンに映し出された動画面(アニメーション)を恰も現実のように錯覚して一喜一憂している。
眠りの中で観ている夢はまさにこの錯覚に他ならない。
そうすると、鑑賞者にこの錯覚をさせるには映写機という小道具が要る。
静止画フィルムを動画面(アニメーション)のように錯覚させる小道具が映写機であるわけだ。
我々人間に、映像、つまり、動画面(アニメーション)を現実だと錯覚させている小道具が映写機であり、静止画フィルムが現実であって、動画面(アニメーション)は映像に過ぎないことを実はわかっていない。
静止宇宙が現実で(実在していて)、運動宇宙は映像である(実在していない)ことを実はわかっていない。
我々にこの錯覚(勘違い)をさせている張本人が映写機である。
映写機の仕事には二つある。
映写フィルムを早送りする仕事と、映写フィルムに光を当てる仕事の二つだ。
映写フィルムを早送りするとは、回転させることであって、そのためには回転させる力が要る、つまり、「力」が要る。
映写フィルムに光を当てるには、光が要る。
つまり、「力」と「光」が要る。
ニュートン力学からアインシュタインの相対性理論までを基本にした現代物理学は、137億年前にビッグバンという大爆発によって宇宙は誕生し、そのビッグバンの直後、10の44乗分の1秒後に「重力」という「力」が唯一の「力」から誕生(分化)して、10の36乗分の1秒後に「強い力」が誕生(分化)して、10の11乗分の1秒後に「弱い力」と「電磁気の力」が誕生(分化)し、その四つの力の誕生によって、微粒子、つまり、素粒子が誕生し、素粒子の一つであるX粒子の正物質と反物質が衝突した結果、対消滅によって「光」が誕生したと主張している。
つまり、「力」と「光」の生成理由を説明しているわけだ。
なぜ、「力」と「光」の生成理由を説明しなければならないのか。
錯覚(勘違い)させる小道具である映写機が要るからだ。
ビッグバン以後の宇宙が実在であるように錯覚(勘違い)させる映写機が要るからだ。
ビッグバン以前の宇宙を忘れさせる(考えさせない)ための小道具が要るからだ。
だが、ミイラ取りがミイラになっていることに気づかせる証拠を現代物理学者は残している。
それが、「唯一の力」の存在である。
「四つの力」が「唯一の力」から誕生(分化)したと彼らは言っている。
ということは、ビッグバン以前の宇宙があって、そこでは「唯一の力」しか無かったと言っておるのと同じだ。
ただ「四つの力」が誕生したと、彼らは言えない。
「無」から「有」がどうして誕生したかを説明できないからだ。
それが現代物理学の限界である
だから、「唯一の力」から「四つの力」が分化したと言っている。
まさに、ミイラ取りがミイラになっているわけだ。
神が天地(万物)を創造した。
では神を創造したのは誰か。
永遠のイタチごっこだ。
宗教と科学が同じ穴の狢である証明だ。
宗教で「光」を神とし、科学で「光」を絶対者にする。
そこには、「無」の宇宙、つまり、“静止の暗闇と沈黙と無臭と無味と無境界の宇宙”の説明は一切無い。