(その十二)相対性理論と絶対性理論

「時間」と「空間」の「時空の世界」に我々は生きていると主張するのが相対性理論である。
「時間」など無い「空間」の「空の世界」に、我々は実在し、「時空の世界」を映し出していると主張するのが絶対性理論である。
実在する「空の世界」は、静止している宇宙のことで、そこには光も音もない“静止の暗闇と沈黙の宇宙”だ。
映像の「時空の世界」は、運動している宇宙のことで、そこには光と音がある“運動の光と音の宇宙”だ。
厳密には光と音と匂いと味と肌触り、つまり、五感で感じるものを指す。
従って、実在する「空の世界」は、“静止の暗闇と沈黙と無臭と無味と無境界の宇宙”だ。
映像の「時空の世界」は、“運動の光と音と匂いと味と肌触りの宇宙”だ。
相対性理論の有名な式に、E = mc2+1/2 mv2というのがある。
これは何を意味しているかと言うと、光で感じるもの、つまり、目で見えるものが動いている物体であり、静止している物質のエネルギー(mc2)と動いている物体のエネルギー(1/2 mv2)を足したものであると言っているわけだ。
光で感じるものだけでなく、音で感じるもの、つまり、耳で聞えるものも動いている物体であり、静止している物質のエネルギー(mc2)と動いている物体のエネルギー(1/2 mv2)を足したものであると言っているわけだ。
光で感じるものだけでなく、匂いで感じるもの、つまり、鼻で匂えるものも動いている物体であり、静止している物質のエネルギー(mc2)と動いている物体のエネルギー(1/2 mv2)を足したものであると言っているわけだ。
光で感じるものだけでなく、味で感じるもの、つまり、舌で味わえるものも動いている物体であり、静止している物質のエネルギー(mc2)と動いている物体のエネルギー(1/2 mv2)を足したものであると言っているわけだ。
光で感じるものだけでなく、肌触りで感じるもの、つまり、皮膚で自他を区分けるものも動いている物体であり、静止している物質のエネルギー(mc2)と動いている物体のエネルギー(1/2 mv2)を足したものであると言っているわけだ。
つまり、五感で感じるものこそ、動いている物体であり、静止している物質のエネルギー(mc2)と動いている物体のエネルギー(1/2 mv2)を足したものであると言っているわけだ。
光で感じるもの、つまり、目で見えるものが一番速く伝わるから、光の速度を一番速いとして、一番速いものを一定(C=Constant)としたわけだ。
要するに、光だけは別格で、光だけが速度の無いもの(だから光の速度をC=Constant=一定とした)、つまり、時間が一切掛からないで動けるものとしたわけだ。
そうしないと、目で見えるものはすべて過去のものになってしまうからだ。
ところが、光の速度は秒速30万キロメートルである(1秒間に地球を7周半する)ことは誰でも知っている。
実際には、目で見えるものでも、その間に距離があれば、伝わるのに必ず時間が掛かる、つまり、目で見えるものはすべて過去の映像であることは明白である。
相対性理論で、光の速度より速いものは無く、その速度をC=Constant=一定とした理由は、光以外のものの速度はすべて相対的であるのに対して、光の速度は絶対的だとしたからである。
時速5キロメートルで歩いている二人の人間が歩いている方向が逆なら、お互いに相手の速度は時速10キロメートルに感じるが、同じ方向に歩いているなら、お互いに相手の速度は0キロメートル、つまり、止まっているように感じる、つまり、状況によって速度は変化する相対的なものである。
ところが、光だけは、つまり、目で見えるものだけは、どんな状況でも速度は変化しない絶対的なものであるとしているわけだ。
一見複雑難解な説明だが、平たく言えば、見えるものと見ているものは同じ世界にいると言っているわけで、同じ世界にいるということは、同じ時間、つまり、現在にいると言うわけだ。
我々が現実だと思い込んでいる世界に外ならない。
誰もが納得する話だ。
しかし、その結果、我々人間だけが錯覚(勘違い)の世界に嵌り込んでしまった。
まさに光の手品である。
自分も、自分以外の他のすべても、同じ世界に生きている。
相対性理論の主張である。
自分独りだけの世界に生きており、自分以外の他のすべては映像に過ぎない。
絶対性理論の主張である。