(その十二)アンチ・相対性理論派のイエス・キリスト

一光年先に見える星は、一年前の星の映像だ。
昼間ぎらぎら輝いている太陽は、およそ8分前の太陽の映像だ。
夜間とうとうと輝いている月は、およそ2秒前の月の映像だ。
それなら、3メートル前にいる恋人は、およそ1億分の1秒前の恋人の映像なのが真実なのに、宗教に翻弄されてきた人類は、自分と同じ世界に実在する存在と錯覚してきたのである。
その結果、人類だけが悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる人生を送る羽目に陥り、差別・不条理・戦争が罷り通る世界をつくってしまったのだ。
まさに、映像を実在すると錯覚したことこそが、エデンの園から人類が追放された真の理由なのである。
エデンの園、つまり、自然社会で生きていれば、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれることもなく、差別・不条理・戦争も一切ない。
自分と他者を区分けして生きている知性ある生きもの・人類は、地球(エデンの園)から逸脱した結果、地球(エデンの園)との一体感を忘却してしまい、“自分が・・・”という想いの部分観に陥ってしまったからである。
とんでもない錯覚を人類に惹起させた張本人こそが、光信仰という宗教に他ならないのであり、光信仰を決定的に確立させたのが、「光速度一定の原理」、すなわち、相対性理論だったのである。
同じユダヤ人の宗教者(パリサイ人律法学者)によって十字架に架けられたイエス・キリストは、イェルサレムにあるエッセネ・スクールで学んだ。
エッセネ・スクールでイエス・キリストは、光は暗闇の不在概念に過ぎないことを教えられた。
つまり、イエス・キリストはアンチ相対性理論派だったから、十字架に架けられたのである。
つまり、イエス・キリストはアンチ・アインシュタインだったから、同じユダヤ人の宗教者(パリサイ人律法学者)によって十字架に架けられたのである。
まさに、相対性理論とは宗教教義に他ならなかったのである。