(その十一)京の鬼門中の鬼門

鬼門という概念があるのは日本だけである。
「鬼門」という言葉のルーツは、古代中国の書物「山海経」にある物語が元になっており、北西の方向を「天門」、南西の方向を「入門」、南東の方向を「風門」としたのに対し、北東の方向を「鬼門」としたのである。
中国から伝来した考え方であると思われているが、日本(沖縄を除く)のみで忌み嫌われている方位観であり、中国の風水では土地や住宅の北東方位を恐れたりはしない。
北東の方向にある鬼門とは、北東、つまり、(艮=うしとら:丑と寅の間)の方位のことである。
陰陽道では、鬼が出入りする方角であるとして、万事に忌むべき方角としていて、他の方位神とは異なり、鬼門は常に艮の方角にある。
鬼門とは反対の南西(坤 =ひつじさる)の方角を裏鬼門と言い、この方角も忌み嫌われる。
江戸時代には、鬼門の方向への造作・移徙(わたまし:貴人の引越)は忌むべきとされた。
人々は家の鬼門の方角に桃の木を植えたり、鬼門とは反対の方角が申であることから、猿の像を鬼門避けとして祀ったりした。
京都御所の北東角には屋根裏に木彫りの猿が鎮座し、鬼門を封じていて、猿ヶ辻と呼ばれる。
現在でも、家の中央から見て鬼門にあたる方角には、門や蔵、および水屋・便所・風呂などの水を扱う場所を置くことを忌む風習が強く残っている。
御所から鬼門の方向に比叡山延暦寺が、裏鬼門の方向に石清水八幡宮が置かれた。
その間にある鬼門中の鬼門が鹿ヶ谷に他ならない。