(その十一)スパイ・西郷隆盛

西郷隆盛は、島津斉彬の下、江戸で御庭番をしていた。
現代でいうスパイである。
スパイ西郷に情報を送るのが、将軍家定の御台所になった篤姫であった。
島津斉彬は日本の将来を憂いていたのではなく、日本の近未来に国替えをする、大いなる野望の一端を担っていたのである。
薩摩藩主島津斉興の嫡男であった斉彬は、江戸生まれの江戸育ちで、薩摩のことなどまるで知らない開国論者であった。
水戸藩主の烈公・水戸斉昭の影響を受けて開国論者となった斉彬は、水戸の弘道館である外国人と出会った。
爾来、外交問題に関心を持ちはじめ、老中・阿部正弘と気脈を通じるようになる。
阿部正弘は備後福山城主であり、ペリーと開国の条約を結んだ張本人だ。
現在の岡山県である吉備の国は、大化の改新後、備前、備中、備後、そして、美作に分けられた。
岡山県人のことを日本のユダヤ人と呼ばれるほど、岡山と古代ユダヤとは因縁が深い。
大室寅乃助こと明治天皇の出生の地こそ吉備の国であった。
阿部正弘が仲を以って、島津斉彬と大室寅乃助を引き合わせた。
その間を奔走したのがスパイ西郷であった。