(その十一)円回帰の変節

日本の歴史も、南→西→北→東→南→西→北→東で円回帰するところにある。
日本の統一劇は九州(南)で始まった。
まさに、弥生時代の幕開けである。
それまでの縄文時代は東北地方中心であり、縄文文化の中心は出雲であったが、いずれも北である。
東北地方にストーン・サークルの墓が多く残っているが、中国北部の満州地方から、日本の東北地方に伝わった埋葬方式で、騎馬民族独特の方式だ。
源義経ジンギスカン説は、ストーン・サークルに起因する。
そして、東北地方を治めた源八幡太郎義家が中興の祖で起こった武家政権は、東の鎌倉ではじまり、江戸の東京で終息した。
ところが、ここで流れが変えられてしまったのである。
歴史の円回帰通りなら、東から南へ戻らなければならないのであり、九州以南に歴史は移っていくことになる。
明治維新を強力推進したのが、薩摩の島津斉彬であった点に真の歴史のヒントが隠されている。
島津家が、琉球、奄美大島を支配してきたのは、海のシルクロードの通路にあたったからである。
海のシルクロードの日本列島における最初の寄港地が薩摩、つまり、鹿児島である。
西郷隆盛は、彼にとって唯一の主君だった島津斉彬の意図を重々承知していたから、最後まで征韓論を主張したのだが、大久保利通はそのことを理解していなかったのである。
『維新の群像』で西郷隆盛が、外国人宣教師フルベッキ(トーマス・グラバー)を挟んで若き時代の明治天皇を見守っている姿が象徴的だ。