(その十一)戦国時代

足利尊氏によって開かれた室町幕府は、第十五代将軍・足利義昭まで続いたというのが、室町時代という日本の歴史観である。
だが、室町時代の後半の殆どは応仁の乱で占められ、戦国時代へと引き継がれていく。
そして、応仁の乱のきっかけをつくったのが、八代将軍足利義政に他ならない。
つまり、日野富子の夫である。
室町幕府の実態は、八代将軍足利義政で滅びたことになる。
その足利義政が建立したのが、慈照寺(銀閣寺)であり、まさに、東山文化の開祖である。
足利義政は、北山文化の開祖である三代将軍足利義満の孫である。
ここに、隠れた歴史のヒントがある。
足利義満の子でありながら、比叡山天台宗の座主となった義円が、兄義持の死後、還俗して第六代将軍となった足利義教の嫡男が八代将軍足利義政なのである。
義政は日野家の富子姫を娶ったが、露骨な政略結婚に反発し、二人の間には子供がいなかったため、弟・義視を後継指名していた。
義視も最初は出家して義尋と称していたが、兄であり将軍である義政に子がいなかったために還俗していたのである。
ところが、富子が懐妊して、義尚を産んだことから、跡目争いが発生、延いては、応仁の乱の引き金になったのである。
応仁元年(1467年)
足利将軍家の相続問題が引き金になって、管領職、畠山及び斯波両家の跡目相続まで尾を引き、東軍細川勝元と西軍山名宗全とが、それぞれ、諸大名を引き入れて京都を中心に争った大乱が応仁の乱である。
その結果、日本は戦国時代に突入するのである。