(その十一)二頭政治の国

日本という国の謎を解く鍵を握っているのが、御所の段町の主、鹿ヶ谷哲夫なのである。
今出川通りの東の行き止まりに、通称銀閣寺の慈照寺があり、そこから南に下る道が鹿ヶ谷(ししがだに)通りと呼ばれている。
鹿ヶ谷通りを南に下ったまた行き止まりに永観堂がある。
この1キロ程度の小さな道が日本の裏の歴史が展開されたメイン舞台であった。
北の端に、室町幕府八代将軍足利義政が建てた慈照寺(銀閣寺)があり、南の端に禅林寺(永観堂)があることが謎を解く鍵の穴である。
慈照寺(銀閣寺)は文明14年(1482年)、足利義政が自らの山荘として造営したものだ。
一方、禅林寺(永観堂)は、空海の弟子真紹により開創され、11世紀末に永観が入山して念仏の道場としたことから永観堂と呼ばれるようになった。
幕府八代将軍足利義政は、戦国時代を招いた応仁の乱のきっかけをつくった足利家最後の将軍である。
以降、足利家の家来である細川氏による管領政治が続いた。
源氏による鎌倉幕府が、三代将軍源実朝で途絶え、以降、源家の家来である北条氏による執権政治が行われたのと同じだ。
日本の支配者の歴史は、象徴である支配者と実権を握った支配者による二頭政治が常套であり、その伝統は現代日本にまで踏襲されている。