(その十一)京(みやこ)の定義

「奠都(てんと)」と「遷都(せんと)」の語の使い方を巡っては議論がある。
一義的には「奠都(てんと)」は都を定める事をいうのに対して「遷都(せんと)」は都を移す事をいう。
中国にはかつて、北京と南京二つの都があった。
「奠都(てんと)」の語は、1895年(明治28年)に京都市が794年の平安遷都を「平安奠都千百年記念祭」と称して祝った時に用いられた言葉である。
1898年(明治31年)に東京奠都30周年を記念して出版された『奠都三十年』のなかでは、東京も京都も帝都であるとしつつ、東京遷都という表現も同時に見られ、京都は依然帝都で、政治上の必要から江戸にも帝都を定めたのだから遷都と言うことは妥当ではないとする声からのものだった。
その後、大正期に入った1917年(大正6年)。
東京奠都の本格的な研究が為され、そのなかで「東京の奠都は遷都にあらず」とし、遷都の発表はなく、今日に至るまで都を東京に遷されたのではなく、東京は京都とともに並立して帝都の首都であることは明らかであるとした。
1919年(大正8年)。
東京市役所の発行した『東京奠都』も、東京奠都は京都留守居官の廃止で完了したが、「その名義に於ては、いつまでも東西両京の並立で、遷都といふ事は、つひに公然発表せられたことはなく」、「京都も一の帝都であるが、事実に於て遷都の事はいつのまにか行はれてゐた」とした。
これらの考え方によると、東京奠都に関しては都を移す「遷都」の語を避け、京都と二つ帝都としたのだから都を定める「奠都」と称すべきであるとされた。
現在では、一般に「遷都」の語は首都移転の意味にも使われ、「首都が東京に移された」などとも表現される。
『京都の歴史』では、二度目の東幸(明治2年3月)の際の太政官を東京に移す発表を事実上の遷都宣言とし、事実上の首都の座を東京にわたしたとしている。
「遷都(せんと)」より「奠都(てんと)」が実態を適切に表現するものであったかもしれないとし、京都は都であることを否定されなかったとしながらも、京都が政府機関の置かれる帝都(首都)として復活しなかったため、「奠都(てんと)」よりも「遷都(せんと)」が実態を正確に表現しているとしている。
東京奠都を首都の問題と絡めて論じられることもあるが、現在に至るまで法令上「首都」の定義・規定がなされておらず、日本における従来の「みやこ」(都・京)と「首都」の関係は定かでない。