(その十一)なし崩しの都・東京

明治天皇は東幸に続いて京都への還幸となったが、この還幸にあたって、副総裁の三条実美は独り賛成せず、今すぐに京都に戻れば関東の人心を失するとして早々の還幸を牽制する意見書を提出した。
彼はこの中で、天皇に数千年も親しく恵みを受けてきた京都・大坂の人々の動揺と、徳川氏に300年恩恵を受けてきた関東の人々に恨みや失望を与えることの利害得失を比べ、関東の人心に京都・大坂の盛衰や国の興廃がかかっているのであり、京都・大坂を失っても地勢に優れる東京を失わなければ天下を失うことはないと述べた。
三条実美の意見により還幸の日が延びていたが、先帝、孝明天皇の三年祭と立后の礼を行なう必要があるという岩倉の意見もあり、明治元年(1868年)12月8日、明治天皇はひとまず京都に還幸し12月22日に到着した。
この還幸にあたり、東京市民に不安を与えないよう再び東京に行幸することと、旧本丸跡に宮殿を造営することが発表された。