(その十)グラバーの陰謀

日清戦争と日露戦争の間の10年間、つまり、明治27年(1894年)から明治37年(1904年)の10年の間に、トーマス・グラバーは京都に姿を現した。
東山に住んでいた倫子とエミーに会うためであるが、それ以外に大きなミッションを持っていた。
ミッション遂行の対象が京にいるからである。
「御所ノ段町って知っていますか?」
グラバーの質問に、倫子は首を振った。
「そうか、知らないのか・・・」
「エミー、御所ノ段町って知ってる!」
14才になっていたエミーが横から微笑ながら言う。
グラバーは驚いたような表情をしたため、倫子は観念して、事の仔細を報告することにした。
「エミーは近々、舞妓になるんです・・・」
「本人のたっての要望で・・・仕方なく、あたしも了承したのです」
スコットランド人のトーマス・グラバーだが、世界を股にかけての武器商人をしていただけに、各国の文化に対する理解は常人ではなかった。
ご他聞に洩れず、日本の花街の慣習も知り尽くしている。
嘗て、ロシア人高官との交渉のため、山形の酒田に赴いたことがあったが、酒田でも舞妓がいたことを知っていた。
酒田の舞妓の最大の目的は、ロシア人との混血を生産することにあった。
酒田最大の財閥、本間家の裏の家業でもあった。
トーマス・グラバーは、あるヒントを思いついた。