(その十)スパイ西郷隆盛

薩摩藩主になった島津斉彬は、江戸生まれの江戸育ちであり、薩摩などにまるで縁のない人物が、なぜ開国論者だったのか、しかも、徳川御三家、水戸藩と気脈を通じていた。
徳川幕府のラスト・エンペラーである十五代将軍、徳川慶喜は水戸出身者であり、徳川親藩の身でありながら、尊王思想を持っていた。
当時の帝、孝明天皇が強い攘夷思想を持っていたため、開国派に対抗していた尊王攘夷論者の旗印になっていたのが、徳川水戸家であり、徳川水戸家を強烈に支援したのが島津斉彬である。
島津斉彬には子飼いの御庭番としての西郷吉之助(後の西郷隆盛)が、江戸と水戸を奔走していた。
現代流に言えば、スパイ活動をしていたのである。
では西郷吉之助は、一体何をスパイしていたのだろうか?
徳川将軍家の菩提所、上野寛永寺前にある西郷隆盛像は、本人とは似ても似つかわないらしい。
そこにスパイ、西郷吉之助の正体が垣間見える。
薩長連合を画策した坂本龍馬の土佐の実家は、土佐藩主山之内家の子飼い武士ではなく、秦一族の分派の一つである長宗我部氏の流れを汲む、いわゆる、土佐郷士である点を見逃してはならない。
秦氏というキーワードで、西郷隆盛と坂本龍馬は繋がっていたのである。
そして、秦氏というキーワードには、もう一つ大きな鍵穴があったのだが、日本の歴史から抹殺されてしまったのだ。
その鍵穴こそが、「蝶々夫人」の夫、トーマス・グラバーであった。