(その十)謎の氏族・島津家

薩摩の支配者、島津家の家紋は丸に十字である。
島津の名がつく屋号の紋は悉く丸に十字である。
島津製作所であろうが、島津人形であろうが、島津焼肉店であろうが、丸に十字である。
そして、本拠地は薩摩(鹿児島)ではなく、必ず、京都にある。
島津の家紋を引き継ぐ中で、最大の勢力が、島津製作所であるが、京都三条に本社があり、その延長線上に秦氏の拠点の太秦がある。
太秦の玄関口に当るのが、木嶋(このしま)神社、通称、蚕の社であり、三つ柱の鳥居で有名な郷社だが、その格調は、官幣大社に匹敵すると言われている。
その訳は、南朝系天皇家の南禅寺の庭園にも、三つ柱の鳥居のレプリカが安置されていることが証明している。
一体、秦氏と天皇家はどんな関係なのか。
島津氏は、秦の始皇帝の末裔と称する渡来人の秦氏の子孫・惟宗氏の流れを汲み、清和源氏の流れでもある。
惟宗基言の子の惟宗広言が、主筋である藤原摂関家筆頭の近衛家の日向国島津庄の荘官(下司)として九州に下り、その子の惟宗忠久が、源頼朝から同地の地頭に任じられ島津を称したのがはじまりとされ、のちに薩摩国出水平野に城を築き、拠点を移している。
そして、昭和天皇の末子娘、貴子が島津家に嫁いで、島津貴子となっているように、実に謎の多い氏族だ。
海路のシルク・ロードの終着駅が薩摩であり、秦氏の流れを汲む島津家が支配する地である点に多くのヒントが隠されているようだ。