(その十)もうひとつの陰謀

錦の御旗擁立劇にまんまと成功した岩倉具視は、伊藤博文と結託して、もうひとつの陰謀の実行に取り掛かった。
錦の御旗擁立劇の陰謀とは表裏一体の関係にあったからであり、二律背反関係にあった、もうひとつの陰謀は、何が何でも為し遂げなければならなかったのである。
岩倉具視は、貧乏貴族の更に末席にいる人物であったのに、明治維新の元勲の一人に挙げられる所以は、もうひとつの陰謀劇の主人公であったからだ。
京都の宝ヶ池の更に北に岩倉家の貧乏邸があったことからも、貴族といえども如何に貧していたかが窺われる。
岩倉が御所に上がった。
お上、すなわち、孝明天皇の執務室を紫雲殿と言い、京都御所の中心にあり、玉座とは別に、西洋テーブルと椅子が置かれてあった。
テーブルの上には、ワイングラスが転んだままで、こぼれたワインがまるで血のようだった。
何事もなかったように、静寂の中で、お上の公務は続けられていた。
紫雲殿の更に北側には、孝明天皇の次男である睦仁親王が、中山慶子によって産み落とされた部屋がある。
中山慶子は藤原一族には違いなかったが、孝明天皇の后ではなく、孝明天皇の后は五摂家の一つからの九条夙子であったから、 睦仁親王は、いわば、妾腹の子であった。
睦仁親王は、少年時を、その部屋でずっと過ごしていたのである。
部屋の中には、やはり、西洋テーブルがあり、その上に同じように、ワイングラスが転んだままであり、こぼれたワインがまるで血のようだった。
もうひとつの陰謀が実行された直後の二つの光景であった。