(その十)夢の中の眠り

母の倫子が、珍しく恵美子の肩を持った。
「お父はん、何言うてはんの!うちは先斗町のお勤めの帰りどすえ・・・
遊んでたんとちがいます!」
「お父はん!恵美子はまだ二十歳やのに、芸者のお勤めをしてはんねや!酔うのも仕事のうちなんやから、しようがおまへんやろ!」
長男の亨は同志社大学工学部を卒業して、京都に本社のある大きなメーカーのサラリーマン3年生、聡は京都大学四年の現役学生であるのに、妹の恵美子は大学も行けず、高校も夜学に通いながら昼間は舞妓の稽古事に明け暮れる日々を送った挙句に、二十歳になったと同時に芸者になった。
女に生まれたというだけでこんな理不尽な目に遭うのは、二十歳という若さの恵美子の身になれば、受け入れ難い仕打ちだと思っても不思議ではない。
「大晦日や言うては、火鉢囲んでおみかん食べながら、紅白歌合戦をのんびりと観てはるみなはんと、うちは身分が違うんどす!」
恵美子の酒乱ぶりに一番傷つくのはいつも聡だった。
二歳違いの妹だが、子供の頃から自分の恋人のように思い込んでいたから、他人事とは思えないのだ。
「恵美子!ほれ水を飲みいや!」
聡が彼女のために三方さんにある水瓶から掬った柄杓のままの水を持ってきた。
戦後の高度経済成長のお陰で、台所のことを「キッチン」と呼びかえる時代になっていた日本だが、古都京都ではいまだに三方さんであり、台所なのである。
三方とは、その字の通り、三つの方向であり、三つの面を言うのだが、神仏に供物を捧げる台が前・左・右の三方に刳形のある台を取りつけたことから、いつの頃からか四方に対して三方と言うようになり、厨房に祭る神さんの代名詞になっていった。
京都の水は井戸から採るのが圧倒的に多いのも、「キッチン」よりも、「三方さん」に向いている。
まさに、台所である。
井戸から汲み挙げた水を、大きな土の水瓶に貯めておき、柄杓でお椀に移して飲む。
古くからの飲み水の作法だ。
上水道が完備した文明社会では、水道の蛇口の設置された「キッチン」がお似合いだが、「三方さん」の伝統社会では、井戸水、水瓶、柄杓を外せない。
聡から差し出された水の入ったアルミの杓子に、直接口をつけてがぶ飲みする恵美子の様子に、父の正三は怒りを更に募らせた。
「ええかげんにしなはれ!」
京言葉は複雑だ。
これで怒っているのである。
「ぶぶ漬けでもどうどすか?」
長居する客に「帰れ!」と婉曲的に言う京言葉だ。
明治以降、東の京になった新しい都の江戸っ子弁では、「いいかげんにしろ!」が、西の京である古い都の京言葉では、「ええかげんにしなはれ!」になって、喧嘩にならない。
1200年もの長い間、都を続けてきた町の伝統の本領だ。
人間社会だけにある「戦争(喧嘩)」を如何に防ぐかの生きる知恵が、平安の都には息づいている。
水を飲んで一息ついた恵美子がやっと素面に戻ったらしい。
「すんまへん・・・不細工なとこ見せて・・・」
そう言いながら、彼女は聡の腕の中で気を失ってしまい、夢の中の眠りに没入していくのだった。