(その十)歴史の裏と表

倫子は、あの大晦日の夜を思い出していた。
「・・・、今年の東山は病んでるみたいやなあ・・・」
聡のこの一言で倫子の表情が急変したのを、父親の正三も、兄の亨も感じていなかったのが幸いだったのかどうか、聡は、その時、わかるすべもなかった。
倫子の変化を悟られなかったのは、火鉢を囲んだ四人がそれぞれの想いで、大晦日の紅白歌合戦に観入っていたお陰もあったが、ちょうど妹の恵美子が泥酔して帰ってきた様子に二人が釘付けになったことも相俟ったからである。
「なんでんねんや!大晦日にそのみっともないみなりは・・・」
正三の怒鳴り声で倫子は我に帰った。
「お父はん、何言うてはんの!うちは先斗町のお勤めの帰りどすえ・・・
遊んでたんとちがいます!」
反論する恵美子の肩を持つように、倫子が口を開いた。
「お父はん!恵美子はまだ二十歳やのに、芸者のお勤めをしてはんねや!酔うのも仕事のうちなんやから、しようがおまへんやろ!」
正三が、ここまで腑抜け者になってしまったのも自分の所為であることを、改めて自覚したのである。
当初は、藤堂高順の意を汲んでの猿芝居のつもりだったのが、芝居がリアルなドラマになってしまったのであり、歴史の表舞台は男が演じていても、裏舞台のリアルなドラマは女によって演じられている証明に他ならなかった。