(その十)舞妓の役割

長崎の出島が江戸時代の唯一の国際港であるとするのは、飽くまで江戸幕府の建前であって、特に、ポルトガルやオランダとの交易であったの対して、出羽の国一の国際港・酒田はロシアや清との貿易の中心都市であった。
博多の祇園には、ポルトガル人やオランダ人と日本人女性との間に生まれた混血少女が舞妓になっている写真が多く残っているように、酒田ではロシア人系混血女性が舞妓になって、多くのロシア系日本人を輩出し、長い時を経て、東北美人を生んでいった。
秋田美人は、その一つであって、純潔日本人の容貌とはおよそかけ離れているのが、その証左である。
江戸時代までの日本人と、明治以降の日本人では、容貌がまったく違っていることに気づくのは、一般庶民では、到底不可能である。
なぜなら、江戸時代までの民は、自国の藩から一生出たことがなく、一部の裕福な町人が、一生に一度の伊勢参りをするために、藩札を貰って、領内を出ることを許される。
三代将軍徳川家光の治世下で鎖国政策が採られて以来、日本という国は、藩という独立国の集合体の体を成していた。
藩毎に別の国というわけだ。
明治維新によって、日本合衆国ができたわけである。
アメリカ合衆国は、白人系、ヒスパニア系、アフリカン黒人系、アメリカンインディアン系が核になり、その下に、アングロサクソン、ラテン、ゲルマン、スラブ、そして、ユダヤ系といった具合に、混血の坩堝になっているが、明治維新後の日本もまるで同じなのである。
それは一重に、国替え作業が行われた結果だ。
その中心的役割を果たしていたのが舞妓であり、京の祇園をトップに、各地に祇園という花街ができ、舞妓が活躍していたのである。