(その十)国替え作業

明治元年(1868年)から明治22年(1889年)の間の日本で、国替え作業が行われた。
その中心人物が、文字通り、維新の元勲たちだが、立場こそ敵味方に別れていても、まさに、一同に会して記念写真を撮ったのが、『維新の群像』であり、1866年(慶応3年)の事であったとするなら、時間の符合が見事に証明されることになる。
そして、『維新の群像』の中心にいるのが、異国人の男と少女であり、更に、その中心下で最前列より一列遅れて居座っているのは、その後の、表舞台の中心人物となった明治天皇とするなら、一体、この国は何処の国だと言えるのだろうか。
その作業が、明治元年(1868年)から明治22年(1889年)の間の日本での国替えであり、晴れて、日本の中心人物になった明治天皇が、大日本帝国憲法、いわゆる、明治憲法を明治22年2月11日に発足した記念の37才の写真とするなら、1867年(慶応3年)に撮られた15才の少年・睦仁親王は一体その後どうしたのだろう。
その謎を解く鍵を、異国の男と少女が握っているとするなら・・・。
そして、その後、その少女は、祇園の舞妓になっていくとするなら・・・。
その頃、出羽の国の酒田でも、同じ作業が行われていた。