(その十)天皇家のルーツ

秦一族は、藤原一族を凌ぐ歴史の古さと、根の広さを誇る。
秦姓のみならず、畑、羽田、波多野、服部、佐伯、高橋といった具合に、枚挙に暇がないほど多くの日本人姓を持つ。
一方、藤原一族の高祖は、いわずと知れた、中臣鎌足である。
西暦645年(大化元年)。
第三十六代孝徳天皇治世の大化元年に、孝徳天皇の叔父である中大兄皇子が、祭祀の中臣鎌足と結託して、当時、権勢を誇っていた蘇我一族の当主、蘇我入鹿の首を討ち取った。
いわゆる大化の改新の立役者である。
他方、秦一族の中興の祖である秦川勝は、聖徳太子の一の家来であるが、一族の勃興は、更に遡って、秦酒公、そして、弓月王に至り、秦酒公を奉った神社として、大酒神社が播州を中心に点在する。
ところが、聖徳太子一族が、蘇我入鹿に滅ぼされてから、秦一族は表舞台から消え去った。
そして、大化の改新によって、蘇我入鹿の首が、中大兄皇子と中臣鎌足によって討ち取られ、藤原姓を天智天皇(中大兄皇子)から賜った鎌足は、藤原鎌足と名を変え、以降、昭和天皇の皇后に至るまで、1345年間、天皇家の外戚として、日本を支配してきた。
秦一族から藤原一族への、実に見事なバトンタッチだ。
秦一族と藤原一族は同じ穴の狢であった証左である。
もしも、天皇家とその外戚として権勢を誇ってきた藤原一族が、秦一族に繋がっているとするなら、天皇家のルーツが明白になったことを示唆しているのである。
トーマス・グラバーは、その隠された事実に気がついて、ほくそ笑んだのである。