(その十)熊襲=縄文人

倭(ヤマト)に対して、熊襲(クマソ)。
倭(弥生)に対して、熊襲(縄文)。
倭(日向)に対して、熊襲(出雲)。
どうやら、倭と熊襲は侵略民族の弥生人と、先住民族の縄文人の別称のようである。
そして、倭(ヤマト)になり、和(ヤマト)になり、大和(ヤマト)になっていったのが、現代日本のルーツというわけである。
では熊襲とは一体何なのか?
熊襲とは、日本の記紀神話に登場する一族名である。
南九州に本拠地を構え、ヤマト王権に抵抗した一族名で、地域名を意味するとされる語だ。
日本書紀には熊襲と表記され、古事記には熊曾と表記される。
肥後国球磨郡(くまぐん)から大隅国贈於郡(そおぐん)に居住した部族であり、ヤマト王権への臣従後は、「隼人」として仕えた。
球磨地方と贈於地方の考古学的異質性から、熊襲の本拠は、都城地方や贈於地方のみであり、「クマ」は勇猛さを意味する美称である。
魏志の倭人伝(ぎしわじんでん)中の狗奴国が、実は、熊襲の国である。
これは一体何を示唆しているのか?
古代中国の歴史でも、漢民族に対する夷狄(野蛮民族)として狗奴国があり、それらを東西南北に区分けして、東の夷狄を東夷(とうい)、西の夷狄を西夷(せいい)、南の夷狄を南蛮(なんばん)、北の夷狄を北狄(ほくてき)と呼んでいた。
日本でも、大和民族に対する夷狄(野蛮民族)として、北海道の蝦夷(えぞ)、東北の夷(えびす)、九州の熊襲(くまそ)、四国の長曾我部(ちょうそがべ)がある。
そして熊襲最大の謎が、古事記の国産み神話で、四国の次、壱岐の前に生まれた筑紫島(九州)の四面のひとつとして語られ、別名を「建日別(タケヒワケ)」といったとされる。
まさに、先住民を意味するのである。