(その一)源氏名の太夫

「こんどの1月15日に逢ってくれへんか?」
喧嘩騒動の後、二人は八坂神社の前で別れた。
その時、藤堂頼賢の方から逢いたいと言った。
『こんなことはこれまで一度もあれへんかったのに・・・』
自分の気持ちをすべて見透かされていて、彼から誘うようなことは一度もなく、常に自分から逢って欲しいと懇願し、挙句の果てに、相手の要求ばかり受け入れて、自分の願いなど一度たりとも要求したことがなく、まるで催眠術に掛けられているような一年だった。
恵美子はただ微笑むだけで別れた。
『一年前に出会った日のことを憶えていてくれてたんかなあ・・・』
藤堂頼賢と別れて冷静さを取り戻すと、喧嘩騒動のことが蘇ってきて、彼のことを客観的に理解できるようになった。
彼と一緒にいると、被害者意識というか、負け犬根性といった受身的発想になって、好きという気持ちよりも、憎いという気持ちの方が圧倒的に強くなるらしい。
恵美子の性格は、受身的且つ閉鎖的だから、自分の気持ちを素直に表現することができない。
藤堂頼賢の性格は、攻撃的且つ解放的だから、自分の気持ちを素直に表現することができる。
こんな二人だから、好き嫌いの表現が正反対になる。
恵美子は、嫌いが表面で、好きが裏面なのに対して、藤堂頼賢は、好きが表面で、嫌いが裏面なのだから、お互い好き同士でも、恵美子は藤堂頼賢を憎み、藤堂頼賢は恵美子を愛しく思うというすれ違い現象が起こるのである。
『こんど1月15日に逢った時は、自分の気持ちを素直に言えるかもしれへんな・・・』
そう思うと余計、母の倫子にはまだ知られたくなかった。
「おかあはん、しばらくここにいてもよろしおすか?」
恵美子は、輪違屋に寄り道して、女将の増絵に頼んでみた。
1月15日まで、東山の家に帰らないつもりなのだ。
「太夫は、どう言わはるやろ?」
増絵にとっては、倫子は今でも太夫なのである。
倫子が花若太夫という名で座敷に出ていたからだ。
恵美子の芸名が春若とつけられたのも、母親である倫子が花若太夫と呼ばれたからだ。
太夫の前につけられる名は「源氏名」と呼ばれ、征夷大将軍に「源氏名」が必ずつけられるのと同じ為来りなのである。
島原は遊郭ではない。
歌舞練場があり、和歌俳諧等の文芸活動があるといった、文化レベルの高い花街であって、島原に彩りを添える主役が太夫であった。
太夫は置屋に所属し、揚屋に派遣されるが、従五位の位を持つほどの格式と教養に長けた芸妓の最高位である。
女将の増絵は倫子に気遣った。
「うち、しばらく家に帰りとうないんどす」
以前の恵美子なら、自分の心の内を言わなかっただろう。
喧嘩騒動のお陰で、彼女の中に大きな変化が起ころうとしているようだ。
増絵は、倫子と正三のことを思い出した。
『同じことの繰り返しどすなぁ・・・花若太夫はん!』