(その一)因果応報

藤堂頼賢は京都伏見生まれの立命館大学三回生である。
子供の頃から乱暴者で、親が地元の名士であったため、少年院に行く寸前の事件を何度も起こしていたが、親の力で事無きを得ていた。
そんな幇助がごり押しによるものであったことを知ったのは、立命館大学に入ってからである。
子供の頃の乱暴狼藉は自然のエネルギーの為せる業であったが、大学生になってからの彼はまさに傍若無人の振舞いであった。
いつしか、「傍若無人」が彼の代名詞になっていたが、何処で人の運命が変わるかも知れない。
大学の日本史の講義を受けた時に、自分に揮名された「傍若無人」の語源が「保元物語」にあることを知った。
保元物語は言う。
“保元の乱で、鎮西八郎為朝が特別大事な門を守ったのは、武勇が天下に聞こえていたからである。
この男は、体格も人並みならず、心はあくまで剛く、大力の強い弓引きで、矢継ぎ早の手練である。
左の腕、右腕よりも四寸長く、矢束を引くことは世に超えたものである。
幼少から不敵で、兄にも遠慮せず、傍若無人であったので、ともにいさせて都においたならばよくないであろうと言って、父・為義が勘当して、十三歳の年に九州へ左遷したところ、三年の間に九州を平定してしまったことから、鎮西八郎為朝と呼ぶ”
爾来、藤堂頼賢は自分が源為朝の生まれ代わりだと深く信じるようになっていくのだが、所詮は、根拠のない錯覚に過ぎなかった。
錯覚ゆえに、彼の言動も錯覚が基礎になっているのだが、本人は極めて真面目に信じている。
自覚症状がないだけに、悪事を働いても、悪事だと思っていない、極めて性質
の悪い青年であった。
“類は友を呼ぶ”という格言が通用しないのだ。
老荘思想の「荘子」にこんな実話がある。
“荘子が遼の都・燕京にやって来る、という噂を聞いた宰相の恵施が恐れをなした。
その噂は、彼の部下の秘密警察官から聞いたものだ。
政治家という者は常に何かに怯えている。
なぜなら、誰もが彼にとっては敵だからだ。
友人ですら、政治家にとっては敵なのだ。
政治家とは他人を引きずり下ろすことで自分を持ち上げる職業である。
荘子という名は、国中で知れわたっていた。
恵施は、荘子が都にやって来るのは自分の地位を奪うためだ、と疑った。
そこで、恵施は荘子を逮捕させるために警察官を派遣した。
しかし、警察官は三日三晩荘子を探しまわったが、とうとう見つけることができなかった。
警察官が見つけることが出来るのは、盗人だけだ。
なぜなら、盗人の気持ちなら、警察官はよくわかるからだ。
盗人と警察官はお互い考え方が同じだから理解し合える。
政府に奉仕している盗人が警察官に他ならない。
荘子のような人物を警察官が見つけることは不可能であった。
類は友を呼ぶ”
しかし、警察官でも自覚症状のない悪人を見つけることはできない。
覚者と自覚症状のない悪人を見分けることは極めて困難である。
況や、とてつもないオーラを発する藤堂頼賢の本性を、二十歳の恵美子に見抜けるわけがない。
毒牙に掛かった手弱女は、さらにその美を輝かせ、否応なしに牙の毒度はますます増してゆく。
悪循環の極みは善循環に通じるのか、第三者の目には、眩いほど美しく輝くのだろうが、その結末は地獄絵になる。
舞妓から芸者になるには相応の覚悟が要るが、それにも増して、修羅場を幾度も潜り抜けてきた経験が要る。
外見は初々しくても、中身は老獪でなければ務まる仕事ではない。
況してや、1200年の古都の裏の世界の舞台である祇園で演じ続けてきた連中だ。
手練手管の強男でも一筋縄ではいかないのが祇園の芸妓であるのに、親の脛をかじっている藤堂頼賢に翻弄される理由(わけ)は、男が常軌を逸した化け物なのか、女が常軌を逸した手弱女なのか何れかである。
それとも、何れも常軌を逸しているのであろうか。
実の兄に恋人のように思わせる妹に、得も言えぬ幼艶さがあるのかも知れない。
時空の世界を超えた因果応報がいま展開されようとしている。