(その一)真の優しさ

「秋の景色と全然違うな!はじめて来た店みたいや!」
恵美子が去年の秋の出来事を思い出しているのを察したのか、藤堂頼賢は開口一番、含蓄のある表現をした。
彼も大学で哲学を学んでいる所為だろう。
人間が持つ記憶は、他の生きものが持つ記憶と根本的に違うようである。
他の生きものが持つ記憶とは景色であるのに対して、人間が持つ記憶は時間なのだ。
人間だけに、過去・現在・未来という「時間の概念」が誕生した所以である。
他の生きものは、朝・昼・夜・春・夏・秋・冬という「時間の観念」を持つ所以である。
「時間の観念」が実在して、「時間の概念」は「時間の観念」の不在概念に過ぎない所以である。
「空間」を「時間」と勘違いしているから、自分と他人を区分けし、自分可愛いさから他人を差別する。
相手がたとえ自分の子供であっても、自分の親であっても、所詮は自分ではない他人だ。
子供のために自分を犠牲にし、親のために自分を犠牲にすることができると思うことは所詮勘違いに過ぎない。
「空間」を「時間」と勘違いしていることに変わりはない。
親が子を殺し、子が親を殺す現象が起きはじめたら、「空間」を「時間」と勘違いしていることに気づきはじめた証左だ。
藤堂頼賢は本能的にそのことを知っていた。
人間の真の優しさは表面の峻烈さを示し、表面の優しさは真の優しさではない。
恵美子がそのことに気づくかどうか。
「秋の景色と全然違うな!はじめて来た店みたいや!」
すべては、この言葉に掛かっていた。