(その一)運命の日

六条朱雀野から四条河原町までタクシーで出て、四条河原町から京阪電車で出町柳駅に着いた恵美子は、約束の時間まで十分にあったので、歩いて平八茶屋まで行くことにした。
鴨川沿いに走っている川端通りの舗道を歩いていると、蕾のつきかけた桜並木が話し掛けてくるように思えた。
「今年は花開くのが早いようよ!」
盆地の京都の冬は底冷えする上に、鴨川沿いを歩くと、川の風が吹き上げてきて着物姿の足下を凍てさせるのに、丸裸になった桜の木から芽生えた蕾の幅射熱が温気になって却って足下を癒してくれる。
『今日は験がよさそうやわ!』
二十歳そこそこの若者が験を担ぐようなことは無いが、芸妓のような仕事をしていると、運命論者にはなれず、どうしても、宿命論者になってしまう。
七歳までに人間の本質が決まってしまう所以がここにも見え隠れする。
人間の信念は七歳までにつくられ、その信念を一生疑うことなく生きる。
七歳までに、親、先生、宗教者によって植え込まれた信念を自分の信念として一生生きて行くことによって宿命論者になるか、それとも、母なる大地、自然に溶け込んだ中で自ら得た信念で以って一生生きて行く運命論者になるか、決定的な分岐点が七歳までにある。
プロの仕事をする者は、どうしても宿命論に陥る。
一見、逆のように思えるが、それが、本来弱い人間が強く生きようとすることによって起こる自己矛盾の現象だ。
運命論とは偶然説であり、宿命論とは必然説である。
本来弱き生きものである人間が、弱き生きものであることを自覚するのが運命論(偶然説)であり、強き生きものであると錯覚することが宿命論(必然説)に他ならないのだ。
人間社会だけに宗教が生まれ、神の概念が誕生した理由は、弱き者が強がったからに他ならない。
だから、苦しい時の神だのみをする。
“神さま、助けてください!”
他の生きものは、どんな窮地に立たされても、“神さま、助けてください!”などと弱音を決して吐かない。
彼らはみんな運命論(偶然説)者だからだ。
芸妓は悲しい職業だが、恵美子がそれを理解するには余りにも若かった。
平八茶屋に12時半に着いた彼女は、店の者にも伝えず、独りで庭先を散策した。
去年の11月22日の出来事を思い出したかったからである。
藤堂頼賢とはじめて平八茶屋に来たのは、去年の牛祭りの日だった。
広隆寺の牛祭りは畑家にとっては一年の中で最も大事な日であったが、恵美子は彼とデートをしたのだ。
鴨川に面した離れの部屋で二人は、河原のせせらぎを背中で聞きながら愛し合った。
若さゆえの無謀さと言えばそれまでだが、無謀さは時には深い気づきを与えてくれる。
歳を重ねた人間がますます無謀さを喪失していくのは、七歳までに決定された信念が母なる大地、自然に溶け込んだ中で自ら得たものでなく、親、先生、宗教者によって植え込まれた信念であった証左だ。
そんな信念は歳を重ねる毎に揺らいでいく結果、自信喪失していくのである。
若者の時にヒッピーになったり、学生運動といった無謀なことをしていた連中の殆どが、平凡な社会人に堕落していくのは、七歳までに親、先生、宗教者によって植え込まれた信念の所為なのである。
自然社会の真理が全体であって、人間社会の真理などその一部分に過ぎないのだから、自然社会の真理と人間社会の真理では勝負にならない。
だから、殆どの人間が歳を重ねる毎に自信をどんどん喪失していき、人生の最終結論である死に際して、今までの人生がすべて水泡に帰してしまうのである。
何故なら、気づきの一切ない人生を送ったからである。
藤堂頼賢には、その気づきがあるのかもしれない。
だから、無謀なことを性懲りもなく続けるのだ。
恵美子は、その気づきに手を貸しているのかもしれない。
去年の秋の出来事に想いを馳せているのも、その一つかもしれない。
「もう来てたんか!」
恵美子の背中の方から愛しい声が聞こえてきた。