(その一)決意

「こんどの1月15日に逢ってくれへんか?」
恵美子は、藤堂頼賢からの誘いに心の中では歓喜していたが、返事もせずにただ微笑ながら別れた。
そして熟慮した結果、1月15日に間に合うように藤堂頼賢宛てに手紙を認めることにした。
それは直接伝えるか、若しくは、電話で返事することを躊躇ったからではなく、自分の想いをきっちりと彼に伝えたかったからである。
話し言葉や対面でのコミュニケーション(対話)よりも、文章に認めた方が相互理解が容易い場合も多々ある。
お互いの関係がコミュニオン(感応)である場合は、特にそうであって、恋人同士などはコミュニケーションよりもコミュニオンを大切にする関係だから、手紙を認めることは極めて大事だ。
話し言葉の本来の目的は、オスからメスへの直接的愛情表現、つまり、性交渉であって、複雑な意思の交換には適していない。
話し言葉は感情・感性の世界の言葉なのだ。
一方、書き言葉、つまり、文章には多様化した表現が可能になる。
例えば、「畢竟」という言葉があるが、音読みすれば「ひっきょう」しかない。
ところが文章にすれば、「畢竟(ひっきょう)」以外に「畢竟れば(突き詰めれば)」と読めるようにすることができるし、「畢竟り(つまり)」とも読めるようにできる便利さがあって、「畢竟(ひっきょう)」、「畢竟れば(突き詰めれば)」、「畢竟り(つまり)」それぞれの意味には微妙な違いがある。
文章に認めれば、この微妙な違いを表現できるのだ。
普通の二十一歳の若い女性としての一面を持つ恵美子だが、彼女の場合は、同じ二十一歳でも春若という強かな芸妓という他の面を持つ。
舞妓にしても、芸妓にしても、太夫までは至らないにしても、相当の教養を身につけているから、春若の教養レベルは同じ二十一歳の普通の若い女性の比ではない。
「前略    藤堂頼賢 様
遅れ馳せながら、新年のお祝いを申し上げます。
新年のご挨拶は1月15日までと伝える日本の古い伝統を甘受させて頂いた次第でございます。
更につけ加えますれば、貴方様との今年はじめての出逢いが、余りにも唐突であり、奇遇であったために、新年の挨拶すら失念する羽目に陥った次第で、そういった状況下での貴方様のお誘いに対して、自己をよく確認できないまま、お返事することが儘ならぬ事態に陥ったことをご理解頂きますれば幸甚この上ない喜びでございます。
漸く、貴方様にとってもわたくしにとっても冷静な判断ができる状況になりましたので、慈許、謹んで貴方様のお誘いを甘受させて頂きたく存じます。
扨て、お逢いする場所に関しまして、お許し願えるなら、わたくしの方から提案させて頂き度。
1月15日 午後1時。
出町川端上る平八茶屋にてお待ち致します。

一月十日  畑 恵美子                     草々」

そして、彼女にとっての運命の日がやって来たのである。