(その一)新しい年

「新年、明けましておめでとうございます」
「左甚五郎の傘」や「うぐいす張りの廊下」で有名な知恩院の本堂を画面に映し、琵琶法師の平家物語の前口上で知られる“祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり”の日本最大の百八つの除夜の鐘を奏でながら、新年の挨拶をする司会者の声が静けさをいっそう増す。
テレビから全国に流れる例年の新しい年を迎えた祝砲だ。
紅白歌合戦の番組が終わるのが大晦日の午後11時半頃であり、新しい年を迎えるまで残り30分という間に、先ず全国のお茶の間の日本人に送られる電波が、京都東山の知恩院の鐘とその除夜の声である。
知恩院は京都市東山区にある浄土宗総本山で、正式には大谷寺知恩教院と言う。
念仏をひろめた法然上人の弟子・源知が、1234年(文暦元年)、吉水御房・大谷禅房の跡に再興した堂宇が知恩院のはじまりである。
16世紀に浄土宗総本山としての地位を確立し、徳川家康の菩提所としても有名で、東山のひとつ栗田山の麓、知恩院の隣にある樹齢800年の大木で有名な青蓮院門跡は法然の弟子親鸞が得度した寺であり、後桜町上皇の栗田御所として旧皇居にあたる場所でもある。
天皇家ゆかりの場所が東山一帯に拡がる。
巨大な知恩院の鐘による除夜の声は、音色が低く、どすんと腹に響き、なんとも精神が落ちつき心地良い。
吠える声が甲高くて、精神を苛々させる小型犬は臆病と相場が決まっているが、吠える声が低くて、どすんと腹に響き精神を心地良くさせる大型犬は悠然とした性格で、人生の四苦八苦など吹き飛ばしてくれるものがある。
“大は小を兼ねる”
これが真理なのだろう。
体格が西洋人に比べて貧弱な日本人には反骨精神があり、大柄な日本人よりも小柄の日本人にこの世的成功者が多いと喧伝されているが、所詮、負け犬根性の遠吠えであり、真理を表わしてはいない。
紅白歌合戦に出場する連中は、その年の日本を代表するプロの歌手だが、概ね小柄な体格だ。
反骨精神を発揮した結果なのだろう。
やはり、芸能界はニセモノ社会だ。
芸能界には世襲制を守っている芸が多いのがニセモノ社会の証明だ。
歌舞伎がその代表であり、世間が荒んでくると、ますます世襲制による芸が巾を利かしてくる。
芸能と芸術の違いがここにある。
芸術の世界とはまるで正反対だ。
芸術の世界はホンモノでないと成り立たないから、世襲制で維持できるわけがない。
天才画家ピカソの子供が、ピカソの跡を継いで「ゲルニカ」のような絵を描けるわけがない。
楽聖ベートーベンに子供がいたとしても、その子供がベートーベンの第九の後のシンフォニーを書き下ろせるわけがない。
川端康成や三島由紀夫の子供が、「伊豆の踊り子」や「潮騒」のような小説を書けるわけがない。
それが芸術である。
代々世襲で引き継がれている市川団十郎や松本幸四郎や坂田藤十郎の歌舞伎芸は、所詮ニセモノの芸能であって、ホンモノの芸術ではない。
芸能人と芸術家は正反対に位置する職業であって、芸能人は義務的職業、つまり、ビジネスマンであるのに対して、芸術家は非義務的職業、つまり、アーティストだ。
新たな年に明けることで、知恩院の心地良い除夜の鐘の響きが、百八つの煩悩を洗い流してくれ、聡に勇気を与えたのだろう。
「中村でなんか嫌なことでもあったんけ?」
新年が明けた後、聡は恵美子を八坂神社の朮詣に連れ出し、円山公園を通り抜けて、棒鱈料理で有名な平野屋の前に差しかかった時、恵美子に訊いてみた。
恵美子は悪酔いの所為でなかなか正気に戻れずにいたが、聡の機転のお陰で少しは悪夢の世界から脱することができ、更に例年にない暖冬の京都の優しい夜風で円山公園の垂れ桜の蕾のついた細い枝が揺れ、却って心地良さを加味してくれたようだ。
「ちょっとね・・・」
言葉の裏で何とか忘却しようと必死になっている彼女の心情を推し測るだけの年輪も経験もなかったが、否定的な意味合いの言葉であることを察するには十分な返事だった。
「女将はんのことけ?・・・ほんなら客のことけ?」
黙って首を縦に振る恵美子を観ながら、聡の表情が一変していく。
八坂神社の横門を潜り抜けて雑踏に呑み込まれるまで、二人は黙っていた。
「・・・・・・・!」
聡が精一杯の大声を発しても恵美子には聞き取れない。
「・・・・・・・?」
恵美子が精一杯の大声で訊ねても聡には聞き取れない。
一瞬の間合いが天の恵みになった。
朮祭のどんど火で点けてもらった火縄の片端を指で持ち、火が消えないようにぐるぐる回しながら二人は家路につく。
八坂神社のどんど火で雑煮をつくる。
1200年の古都の伝統が息づいている。
雑踏の中で交わした会話も、どんど火で燃えてしまったらしい。
回す火縄の二つの円が、現実の世界を幻想の世界に変えてしまう力があるのだ。
二人の関係が普通の兄妹で収まった新しい年のはじまりだった。