(その一)告白

恵美子が輪違屋で寝泊まりするようになって以来、聡のみならず、父親の正三にも、兄の亨にも異変が起きていた。
家の中で以前と変わらず威風堂々としているのは、母親の倫子だけだった。
逆に言えば、畑家の男連中は根無し草のようであり、浮き草のようであり、要するに、地に足がついてないのだ。
この世は、地に足がつかずに、頭で立って生きている連中が殆どであり、しっかりと足で立っている人間は極めて稀である。
皮肉なことに、大半の人間が頭で立っているのに、足で立っていると錯覚しているため、足でしっかり立っている人間を見ると逆に、頭で立っていると勘違いして、変人や変わり者と揶揄する始末だ。
要するに自覚症状の無い音痴に喩えられる始末の悪い連中であって、彼らが世の中を台無しにしてしまっている。
一般大衆が世の中を悪くしているのであって、やくざや暴力団といった悪人が世の中を駄目にしているのでは決してない。
彼らは、自分たちの生きる場所が吹き溜まりであることを自覚している。
要するに、自覚症状のある音痴だから、人目を憚って歌うが、自覚症状の無い音痴は、人目を憚らず歌いまくるから一番性質が悪く、結局、世の中を駄目にしている元凶なのであるが、残念ながら、大半の人間は頭で立っている。
母親の倫子から見れば、畑家の男連中はみんな頭で立っていて、自分だけが足でしっかりと立っていると思っていたが、恵美子も、しっかりと足で立っていると信じていた。
恵美子だけ大学に行かさず、舞妓、そして、芸者にしたのは、経済的問題では決してなかったのであるが、恵美子本人は被害者意識を持っていた。
この溝をなんとか埋めようと倫子が思っていた矢先に、今回のような問題が起こったのである。
「手弱女(たおやめ)」という言葉があるが、手弱男という言葉はない。
どうやら、人の世というのは、すべて逆説的につくられているらしい。
だから、自然社会はメス社会であるのに、人間社会だけがオス社会になってしまったのだ。
すべてを逆転してしまったのが人の世である。
「手弱女(たおやめ)」なんて実はいなくて、男はみんな「手弱男」なのである。
女はみんな「手弱女(たおやめ)」ではなくて、「手強女」なのである。
修羅の極みの世界を生き抜いてきた倫子にとっては、「手強女」が当たり前であり、「手弱男」が当たり前なのだ。
恵美子が「手弱女」であって欲しくないのだ。
恵美子に「手強女」になって欲しいのだ。
「恵美子!あんた、どないしたはんの?」
倫子から輪違屋に電話をしたのだが、こんなことは今までに一度もない。
誇り高い女は、誇り高い男の比でない。
「誇り(プライド)」の本来性はメスにあるからだが、最たる例が、子供を産む能力にある。
子供を産むのは能力の問題であって、肉体のメカニズムの問題ではない。
オスには子供を産む能力がないから、子供を産む肉体構造にならなかったのである。
能力がはじめにあって、肉体構造は後からついてきただけである。
進化過程が如実にそのことを証明している。
人間の尻尾が尾底骨に退化したのは、尻尾を使う能力の欠落が原因である。
人間の大脳が二重皮質に進化したのは、大脳を使う能力の亢進が原因である。
そんな誇り高い倫子が、我が子のために、誇りを投げ捨てたのだ。
「おかあはん、すんまへん!ほんのもうちょびっと・・・」
1月15日に藤堂頼賢に逢って、身の振り方を決めるつもりなのだが、その事情をいまは言えないのだ。
倫子は凡そのことは増絵から聞き出していたが、自分から切り出すわけにはいかなかった。
それが、花街の掟であるからだ。
倫子は、突然電話で、昔話をはじめた。
「おとうはんとうちの馴染めは、あんたがこないだの大晦日の夜に何かあった中村屋はんなんやわ・・・」
この話は大分前から恵美子は承知していたが、倫子のその後の話を聞いて驚愕した。
「京都という町は、大昔から表の世界と裏の世界がちゃあんと分かれててな、表の世界のお上はもちろん御所にいやはるけど、裏の世界は伏見にあんのんや・・・その伏見に“陰のお上”と呼ばれるお人がいやはって、そのお人の名前が藤堂はん言うんやけど・・・その藤堂はんのお云い付けで、おとうはんのお相手をして、あんたがいまおる輪違屋に行って、ほんでその後、角屋で・・・」
「おかあはん!もうその後は云わんといて!」
恵美子は倫子を制止した。
『藤堂頼賢は、そのお孫さんやわ・・』
恵美子は心の中で呟いたつもりだったが、受話器の向こう側の倫子に聞こえたのかと一瞬思った。
「あんた、藤堂はんのこと知ってんのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
恵美子は完全にパニック状態に陥ってしまい、倫子の問いにどう返事していいのか、わからなくなってしまった。