(その一)東西文化の国

「おまえの大学は、ドイツ派哲学か、フランス派哲学なんかどっちやねん?」
想わぬところから妹の恵美子の話になって、焦る聡を引き込んだ服部崇が、何を思ったか、急に話題を変えた。
聡はますます不快な気分になったが、恵美子の話が絡んでいるので、爆発するわけにいかない。
「そうやな・・・うちの大学は昔からフランス派やな・・・デカルトからベルグソン、サルトルに至るまで・・・」
必死に自分を抑える。
「そやけど、西田畿太郎は京都学派なんやろ?」
『一体、こいつは何を聞きたいんや?』
心の余裕がないだけに、冷静な判断ができない。
『ここは、気分転換をした方がええわ!』
気持ちを切り替えて、聡は服部崇の話に乗ることにした。
「西田畿太郎と田辺元が中心になって京都学派を結成した京都大学文学部哲学科は世界的に有名なんや。1915年に発表した一般相対性理論でノーベル賞を受賞したアインシュタインが、ノーベル賞受賞の翌年の1922年に、当時既に東洋の哲学者として世界的に有名になっていた西田畿太郎の招待で来日し、京都大学で演説をしたんや・・・」
哲学などまったく興味なかった聡が、京都大学文学部哲学科に進んだのは、家庭の事情にあった。
遊郭の女郎ではないにせよ、水商売の出の女が、自分の母親であることを知った子供心の傷は浅くなかった。
『人間ってなんやろ?』
『生きるってなんやろ?』
その答えを知りたい一心で京都大学文学部を受験した。
そして、当然の帰結として、哲学科を専攻したのである。
「それ以来、哲学を目差す日本の優秀な学生は、みんなこのキャンパスに憧れるようになったんや。
日本のノーベル物理学賞受賞者が、東京大学よりも、京都大学出身者の方に圧倒的に多いのんも、白い巨塔化してしもうた東京大学に比べて、明治維新以来、京都という町は若者を育てる最高の環境やと、京都人が自負しているところからの反動や。
それに、アインシュタインが京都大学で講演したことも大きく働いてるって、先生が言うてたわ・・・」
熱のこもった話に聡自身が没頭して、肝腎の恵美子の話も忘れてしまったらしい。
「東京と京都はいろんな面で対照的で、相撲で言うたら東西横綱や。
日本は南北文化の国と違うて、東西文化の国なんや。
南座の歌舞伎の幕開けの口上で、“東西(とざい)、東西(とーざい)”って言うように、古今南北なんて言わんと、古今東西って言うし、国技の相撲も東西土俵や。
俺ら京都人には、腹の立つことやけど、東の横綱の方が、西の横綱よりも格上なんは、日本の歴史がいつも東を目差していたことに由来するんや。
“神武の東征”がその元祖や。
明治維新の後、日本の都が京都から東京に移されたやろ。
変な話や。
日本の隠された東西文化に反発する代表が西の横綱京都なんや。
明治維新の舞台は京都やったはずやのに、倒された徳川幕府の江戸になんで都を移すんや?
当時、江戸は確かに日本一の大都会やったけど、何でやと思う?」
急に自分に振られた服部崇だったが、頭の出来が所詮違う。
まるで、ちんぷんかんぷんだ。
「うちの親父は大阪出身やけど、転勤が多くて、今では京都に住むようになったし、東京にもいたことあるし、それだけに、みんな、ええとこと、あかんとこあるって言うてるわ・・・そやけど、自分の生まれた大阪だけは話にならんと文句言うてるで・・・」
服部崇の父親は大手商社マンで、日本全国を転々と移っているお陰で、見聞が広く、鋭い観察眼を持っているらしい。
「京都に比べて、豊臣秀吉が開いた大阪はミーハーな町の代表や。
昔風に言えば、国賊、売国奴と揶揄されても仕方ない、と親父は言うてたわ。
ちょっとでも自分の利益になれば、故郷(大阪)を平気で売り飛ばすんやから、国賊、売国奴と揶揄されても仕方ないわ。
大阪出身の大企業は数多いけど、殆どが、東京に本社を移しているやろ。
低劣な漫才師までが、金儲けのためなら、東京に拠点を移してる始末や。
ミーハーもここまで来れば失笑も憚るって、言うてたわ。
その点、伝統を守り続けてる京都はさすがやな!」
話を聞いていた聡は服部崇のことを少し見直した。
「遷都の真の理由が“神武の東征”に隠されてるんや!」
聡はぽつりと呟いたが、もう昼の12時を過ぎていた。