革命的発想
はじめに

“終わりよければすべて好し”
もしそうならば、わたしたち人間は今までとんでもない勘違いをして生きてきたことになります。
“終わりわるくても、途中がよければ好し”
もしそうならば、わたしたち人間は勘違いせずに生きてきたことになります。
さあ、みなさんは、どちらに軍配を上げられるでしょうか?
“終わり”は“死”と置き換えてもいいでしょう。
“死”とは、この先はもうないという状態です。
言い換えれば、
“死”とは、未来(明日)はもうないという状態です。
“途中”は“生”と置き換えてもいいでしょう。
“生”とはこの前もこの先もまだあるという状態です。
言い換えれば、
“生”とは過去(昨日)も未来(明日)もまだあるという状態です。
そうしますと、
“終わりよければすべて好し”は“死がよければすべて好し”となります。
“終わりわるくても、途中がよければ好し”は“死がわるくても、生がよければ好し”となります。
殆どの人たちが、“死がわるくても、生がよければ好し”の考え方で生きておられると思います。
そうでないと、人生において、“金持ちになりたい!”とか、“立身出世したい!”とか、“健康な人生を送りたい!”とか、“幸せになりたい!”などと思わないはずです。
こういった願望はすべて、“生がよければ好し”の発想から生れているのですから。
何故なら、“金持ち”とか、“立身出世”とか、“健康な人生”とか、“幸せ”といったものは、“死”によって根こそぎにされるもので、所詮、生きている間だけのものだからです。
平たく言えば、死んであの世まで持って行けないもので、生まれた時が裸であったように、死ぬ時も裸であるからです。
そうしますと、
“死がわるくても、生がよければ好し”という考え方は不可能な生き方であることがわかってきます。
つまり、
“死がわるい”と、いくら“金持ち”とか、“立身出世”とか、“健康な人生”とか、“幸せ”になっても、“生が好し”になれないからです。
しかし、残念ながら、殆どの人たちが、“死がわるくても、生がよければ好し”の考え方で生きておられる。
“死”を不吉なものと考えておられる。
“死”を験の悪いものと考えておられる。
だから、自殺を好くないものと考えておられる。
もし、“終わりよければすべて好し”、つまり、“死がよければすべて好し”という考え方に変われば、わたしたちの人生観はどう変わるでしょうか?
これから、そのことについて論じてみたいと思います。


平成20年9月1日 新 田  論


第一発想 人間の情緒
第二発想 死の理解
第三発想 男女の恋愛
第四発想 新幸福論
第五発想 人間の条件
第六発想 男性の条件・女性の条件
第七発想 この世的成功
第八発想 生きる秘訣
第九発想 死ぬ秘訣
第十発想 新健康論
第十一発想 新富裕論
第十二発想 歴史の超大転換期
第十三発想 戦争の変遷
第十四発想 崩壊の十年
第十五発想 再生の10年
第十六発想 日本の行方
第十七発想 通貨(貨幣)の本質
第十八発想 中小企業が大企業を制する時代
第十九発想 中小金融機関の役割
第二十発想 個人の時代の意義
第二十一発想 経済のない社会
第二十二発想 新しい社会(新代社会)
第二十三発想 新代社会の経済
第二十四発想 平等社会
第二十五発想 公正社会
第二十六発想 平和社会
第二十七発想 支配・被支配と世襲・相続の社会
第二十八発想 女性社会の登場


おわりに

もし、“終わりよければすべて好し”、つまり、“死がよければすべて好し”という考え方に変われば、わたしたちの人生観はどう変わるでしょうか?という件ではじまった「革命的発想」の狙いは、人間の情緒が消えていく現代社会に鋭いメスを入れることで、現代社会が持つ病巣を露呈させ、その根底にあるものを浮かび上がらせることにありました。
つまり、
(1)支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会
(2)宗教と科学の社会
(3)悩みや四苦八苦、挙げ句の果ての、死の恐怖に苛まれる社会
(4)差別・不条理・戦争を繰り返す社会
が、現代社会が持つ病巣であり、その根底にあるのが「オス社会」を頂点にしたトライアングル型社会であったわけです。
知的文明社会とは、まさに、「オス社会」を頂点にしたトライアングル型社会が持つ病巣を露呈した社会であったわけです。
そして、こんな人間社会を健全なものにするには、「メス社会」が進化した「女性社会」しかないことがわかりました。
「オス社会」を頂点にしたトライアングル型社会が知的文明社会であったのに対して、「メス社会」が進化した「女性社会」とは、脱知的文明社会に他なりません。
人類と種が生き残れるかどうかの鍵は、知的文明社会から脱知的文明社会に変貌できるか否かにかかっていると言えるでしょう。
そして、その成否は、わたしたちひとり一人の目覚めにかかっていると言っても過言ではありません。


平成21年4月6日 新 田  論