第四章 宗教有益論から宗教有害論へ

12000年前に文明社会をつくり現在まで至った人類は、文明社会の黎明期から宗教の観念を持っていたようである。
その背景には、いくら文明社会といえども人間社会も自然社会の一員であるという認識があったからだ。
だから、
宗教の観念が誕生した当初は、自然崇拝を基本にしたものであったが、自然そのものを神とする信仰心から、人間化した神の概念が生まれるに及んで宗教へと発展していったのだが、それは今から3000年程度前のことであった。
従って、
12000年前〜3000年前までは、信仰の時代だった。
3000年前〜現在までは、宗教の時代だった。
まさに、
今から3000年前頃に人間社会が自然社会から乖離した時代の証左に他ならない。
言い換えれば、
今から3000年前頃に、アダムとイブがエデンの園から追放された時代の証左に他ならない。
更に言い換えれば、
今から3000年前頃に、多神教信仰から一神教宗教に移行した時代の証左に他ならない。
まさに、
宗教(神)こそが、人間社会が自然社会から乖離していったきっかけに他ならなかったのである。
まさに、
宗教(神)こそが、人間社会から信仰心を喪失させていったきっかけに他ならなかったのである。
まさに、
宗教(神)こそが、人間社会が、有益な社会から、有害な社会になっていったきっかけに他ならないのである。
では、
自然崇拝の多神教は有益な宗教で、人間崇拝の一神教が有害な宗教だったのか?
言い換えれば、
自然崇拝の多神教は有益な宗教で、自然支配の一神教が有害な宗教だったのか?
まさに、
近代を開拓してきた結果、先進社会となった欧米諸国は、一神教のキリスト教圏国家で、彼らが開拓した科学は、自然を崇拝するのではなく、自然を支配しようとしてきたことは確かである。
更に、
支配国家となったキリスト教圏国家が敵視して十字軍遠征を行った対象国家もまた、一神教のイスラム教であり、ユダヤ教であった国々であった。
一方、
近代化に遅れ、欧米社会に蹂躙されたその他の社会は、多神教圏国家であったことも確かである、
ところが、
近代化に遅れ、欧米社会に蹂躙されたその他の社会は、多神教信仰ではなく、多神教宗教国家であったことが、近代化に遅れた最大の原因なのである。
詰まる処、
多神教であろうが、一神教であろうが、宗教である限りは、その精神は自然崇拝ではなく、自然支配にあった点では変わりないのである。
言い換えれば、
宗教である限り、多神教であれ、一神教であれ、有害以外の何者でもないのである。