第十五章 意識の結晶化

われわれ人間の大人は、最終的に唯一性の本質を理解する三元論世界に辿り着けない状態で立ち往生している。
従って、
われわれ人間の大人は、二元論世界で勘違いしていることを自覚しなければならない。
更に、
われわれ人間の大人は、勘違いしている二元論世界から正しい二元論世界に修正しなければならない。
そして、
勘違いしている二元論世界から正しい二元論世界に修正するには、意識の結晶化が必要である。
まさに、
真理に辿り着くには、知性から知恵へ意識の結晶化をするしか道はない。
では、
意識の結晶化とは一体何者なのか?
そこで、
結晶化の意味を先ず理解しなければならない。
まさに、
結晶化とは質の先鋭化に他ならない。
平たく言えば、
精妙に整理整頓された組織の最上質化のことで、そのためには高温処理を必要とする。
たとえば、
水が結晶化されたのが雪であり、鉄の焼き入れも結晶化に一つに他ならず、結晶化には高温処理が必ず必要になる。
従って、
意識の結晶化にも、高温処理が必ず必要なのである。
まさに、
意識を焼き入れしなければならないのである。
では、
意識を焼き入れするとは、一体どういうことなのだろうか?
まさに、
意識の焼き入れとは、葛藤することに他ならない。
なぜなら、
葛藤は、摩擦熱を生じるからである。
では、
葛藤するとは、どういうことなのか?
まさに、
葛藤するとは、悩みや四苦八苦することで、葛藤の究極が死の恐怖に苛まれることに他ならない。
ただし、
葛藤には前提条件がある。
自ら進んで葛藤することである。
従って、
意識の結晶化をするための葛藤とは、自ら進んで悩みや四苦八苦をすることで、究極の葛藤とは、自ら進んで死の恐怖に苛まれることに他ならないのである。
まさに、
自ら進んで悩みや四苦八苦をすることと、受身的に悩みや四苦八苦することとは、まるで違うのである。
まさに、
自ら進んで死の恐怖に苛まれることと、受身的に死の恐怖に苛まれることとは、まるで違うのである。
まさに、
意識の結晶化とは、自ら進んで葛藤することに他ならない。