第十三章 二十一世紀は「超の時代」

一元論とは、唯一性の世界感に他ならない。
二元論とは、映像(現象)の世界観に他ならない。
そして、
三元論とは、二元論を超える世界感に他ならない。
平たく言えば、
三元論とは、生死二元論を超える世界感に他ならない。
そして、
生死二元論を超えるとは、死が実在で、生は死の不在概念に過ぎないものであることを理解することである。
その結果、
生死三元論の世界に到達することができる。
従って、
生死三元論に到達するための前提条件は、死が実在で、生は死の不在概念と捉えることにある。
では、
実在とその不在概念は、一体どういう関係にあるのだろうか?
まさに、
二元論を表裏一体の一枚のコインにたとえる所以がここにある。
まさに、
実在とその不在概念は、一枚のコインの表と裏の関係に他ならないのである。
従って、
表裏一体の一枚のコインの材質(本質)は一種類であるように、実在とその不在概念の本質は同じなのである。
まさに、
本質は同じなのに、表と裏という二種類の表象(現象)を表わすのが、実在とその不在概念に他ならないのである。
平たく言えば、
本質は同じなのに表象(現象)の仕方が二通りあるものが、実在とその不在概念の正体に他ならない。
従って、
生死二元論とは、生か死かどちらかが実在で、他方がその不在概念ということになる。
ところが、
生を実在とし、死を生の不在概念とすると、表象(現象)の仕方は二通りあるが、本質は同じではなくなる。
なぜなら、
生と死は二律背反するからである。
一方、
死を実在とし、生を死の不在概念とすると、表象(現象)の仕方は二通りあり、且つ、本質は同じになる。
なぜなら、
生と死は補完し合うからである。
まさに、
二つの表象(現象)の本質が同じとは、二つの表象(現象)が二律背反するのではなく、補完し合うことに他ならないのである。
そして、
このことを理解できることこそ、二つの表象(現象)を超えることに他ならないのである。