第十二章 生死三元論

誕生は必然性であり、死は偶然性である。
従って、
生死二元論の世界は偶然性の世界である。
なぜなら、
始まりが有って、終わりの無い世界は、始まりも終わりも無い世界だからである。
なぜなら、
始まりが有るなら、終わりも有るからだ。
逆に言えば、
終わりが無いなら、始まりも無いからだ。
従って、
誕生は必然性であり、死は偶然性である世界とは、誕生も死も偶然性である世界に他ならない。
まさに、
死が実在で、生は死の不在概念に他ならない証左である。
だから、
生死二元論の世界は偶然性の世界なのである。
そして、
生死二元論の世界=生死三元論の世界なのである。
まさに、
生が実在で、死は生の不在概念である生死二元論では、生死三元論の世界など起こり得ない証左である。
まさに、
生死一元論と生死二元論が往復運動する振り子運動の世界なのである。
ところが、
生死一元論が始点で、死が実在で、生は死の不在概念とする生死二元論が円周であるなら、生死三元論が終点として円回帰運動する。
その結果、
生死二元論の世界=生死三元論の世界となるのである。
まさに、
生死二元論→生死三元論に辿り着く前提条件は、振り子運動する生死二元論から円回帰運動する生死二元論に変容する点にある。
言い換えれば、
生死二元要因が対立するのではなく、補完し合うことが前提条件になるのである。
更に平たく言えば、
生が実在で、死は生の不在概念と捉えることが、生死二元要因が対立するのに対して、死が実在で、生は死の不在概念と捉えることが、生死二元要因が補完し合うことに他ならないのである。
まさに、
生死三元論に到達するための前提条件は、死が実在で、生は死の不在概念と捉えることにある。