第十章 偶然の絶妙=必然の奇妙

いくら悪いことをしても幸福になり、いくら善いことをしても不幸になる=悪いことをしても幸福になり、善いことをしても不幸になる。
まさに、
偶然の絶妙であり、必然の奇妙である。
逆に言えば、
いくら悪いことをしても不幸にならないし、いくら善いことをしても幸福にならない=悪いことをしても不幸にならないし、善いことをしても幸福にならない。
まさに、
偶然の絶妙であり、必然の奇妙である。
そして、
この事実を偶然性の絶妙と捉えるか?
この事実を必然性の奇妙と捉えるか?
それは、ひとり一人の主観に委ねられている。
では、
この事実を偶然性の絶妙と捉えるのは、一体どんな人間なのか?
まさに、
自分ができることは何でも努力する人間に他ならない。
言い換えれば、
『今、ここ』を生きることができる人間に他ならない。
一方、
この事実を必然性の奇妙と捉えるのは、一体どんな人間なのか?
まさに、
何でも先伸ばして、努力をしない人間に他ならない。
言い換えれば、
過去や未来に想いを馳せてばかりいて、『今、ここ』を生きていない人間に他ならない。
そして、
ここが最も大事なポイントである。
この事実を偶然性の絶妙と捉えるか?
この事実を必然性の奇妙と捉えるか?
それは、ひとり一人の主観に委ねられている。
言い換えれば、
生きているなかで起きることはすべて、偶然性・必然性に拘わらず、自分の心根の問題であって、外界の問題ではいっさい関係ない点である。
まさに、
問題は偶然性・必然性に拘わらず、自分の心根にある。
まさに、
問題は生・死に拘わらず、自分の心根にある。
畢竟、
偶然性か?必然性か?などどうでもいいのである。
生か?死か?などどうでもいいのである。