第九章 殺し・殺される自然社会

人間社会にある戒め、つまり、法律と、自然の法則との違いを理解しないと、死の問題を解決することはできません。
前章でもお話しましたように、人間社会にある法律で禁止されていても、自然の法則では禁止されていないものが多くあります。
殺す行為、盗む行為、姦淫をする行為などは、自然社会では日常茶飯事であります。
自然の食物連鎖の法則では、殺す行為は当然の行為と認めている、否、殺し・殺される自体が、食う・食われるという生き物の生態になくてはならない行為なのです。
わたしたちの日常生活でも、食う・食われる行為は日常茶飯事なのに、何故殺す行為を禁止するのでしょうか。
無駄な殺し、無益な殺しを禁止しているなら、戦争はどうなるのでしょうか。
無駄な殺し、無益な殺しを禁止しているなら、蟻を踏み殺す行為も立派な犯罪になる筈なのに、警察が逮捕しないのは何故でしょうか。
盗む行為も、殺す・殺される、つまり、食う・食われる自然の食物連鎖の法則の一環に過ぎません。
姦淫する行為は、生き物のもう一つの本能欲である性欲、つまり、子孫保存欲の行為に他なりません。
そうしますと、人間社会がつくった戒め、つまり、法律には一貫性がないことがわかってきます。
一貫性がないことは、自然の法則、つまり、宇宙の法則には絶対受け入れて貰えません。
死という現象は、宇宙の法則の重要且つ最大の法則であります。
宇宙はマクロ世界からミクロ世界まですべて誕生・生・死という円回帰運動をすることで成立していて、死はその一過程に組み込まれています。
つまり、宇宙では死は不可避の問題なのです。
星にも誕生があり、生があり、そして死がある。
従って、一貫性がないものには、死の問題を解決することは出来ないのです。
人間社会がつくった法律は一部の人間、つまり、支配階級の連中だけの都合に合わせた決まりに過ぎず、圧倒的多数のわたしたち被支配階級の者にとっては不都合極まりない決まりなのです。
そんな一貫性のない法律を、わたしたちは後生大事に遵守しようとする。
まさに支配階級の連中にとっては思う壷なのです。
支配・被支配二層構造問題は所詮世俗的な問題であり、たとえ支配階級の人間でも宇宙の法則の一環である死の問題を解決することはできません。
この世的成功、つまり、金持ちになる、世間的地位を得る、権力を獲得する、そしてブランド物や貴金属をたくさん持っても、死の問題を解決するどころか、却って袋小路に陥る。
死の問題を、殺す・殺される、食う・食われる食物連鎖の法則の一環だと捉えることが、問題解決の第一歩になるのです。