第八十三章 貪欲の人間社会

自然社会は清貧絶対一元の世界で二元論的なものは一切ないのに対して、人間社会はすべてが二元論の世界で生きています。
二元論的に生きると、
生が好くて死が悪いとする好いとこ取りの生き方、つまり、貪欲な生き方をし、清貧な生き方ができなくなります。
オスが好くてメスが悪いとする好いとこ取りの生き方、つまり、貪欲な生き方をし、清貧な生き方ができなくなります。
善が好くて悪が悪いとする好いとこ取りの生き方、つまり、貪欲な生き方をし、清貧な生き方ができなくなります。
強が好くて弱が悪いとする好いとこ取りの生き方、つまり、貪欲な生き方をし、清貧な生き方ができなくなります。
賢が好くて愚が悪いとする好いとこ取りの生き方、つまり、貪欲な生き方をし、清貧な生き方ができなくなります。
富が好くて貧が悪いとする好いとこ取りの生き方、つまり、貪欲な生き方をし、清貧な生き方ができなくなります。
幸福が好くて不幸が悪いとする好いとこ取りの生き方、つまり、貪欲な生き方をし、清貧な生き方ができなくなります。
天国が好くて地獄が悪いとする好いとこ取りの生き方、つまり、貪欲な生き方をし、清貧な生き方ができなくなります。
健康が好くて病気が悪いとする好いとこ取りの生き方、つまり、貪欲な生き方をし、清貧な生き方ができなくなります。
神が好くて悪魔が悪いとする好いとこ取りの生き方、つまり、貪欲な生き方をし、清貧な生き方ができなくなります。
支配が好くて被支配が悪いとする好いとこ取りの生き方、つまり、貪欲な生き方をし、清貧な生き方ができなくなります。
貪欲とは、自己中心の部分観、つまり、自然との一体感(全体感)がなく、自然を全面信頼せずに生きる様を言うのです。
貪欲とは、昨日の糧を持ち越し、明日の糧を心配し、過去・現在・未来に「想い」を馳せて生きることに他なりません。
朝になったら起き、昼になったら昼食を採り、夜になったらセックスをし、挙句の果てに、悪夢に苛まれる眠りをして、翌日に四苦八苦を持ち越す結果、死の恐怖に苛まれる、それが貪欲に生きる人生であります。
貪欲な生き方をすれば、それぞれ固有の朝・昼・夜・春・夏・秋・冬という四季(死期)は一生わからず、突然の死に襲われて真の地獄に落ちるのです。