第八十二章 清貧の自然社会

自然社会は清貧絶対一元の世界で、二元論的なものは一切ありません。
生も死もなく、あるのは清貧な生き方だけです。
オスもメスもなく、あるのは清貧な生き方だけです。
善も悪もなく、あるのは清貧な生き方だけです。
強も弱もなく、あるのは清貧な生き方だけです。
賢も愚もなく、あるのは清貧な生き方だけです。
富も貧もなく、あるのは清貧な生き方だけです。
幸福も不幸もなく、あるのは清貧な生き方だけです。
天国も地獄もなく、あるのは清貧な生き方だけです。
健康も病気もなく、あるのは清貧な生き方だけです。
神も悪魔もなく、あるのは清貧な生き方だけです。
支配も被支配もなく、あるのは清貧な生き方だけです。
清貧な生き方は絶対一元的な生き方です。
清貧とは、清く貧しくという意味ではなく、自然と一体感(全体感)、つまり、自然を全面信頼して生きる様を言うのです。
清貧とは、昨日の糧を持ち越すこともなく、明日の糧を心配することもなく、『今、ここ』を生きることに他なりません。
朝になったら起きるのではなく、昼になったら昼食を採るのではなく、夜になったらセックスをするのではなく、眠たくなったら寝るだけであり、空腹になったら食べるだけであり、春になったら交尾をし、冬になったら死ぬだけのことであり、それが清貧に生きることの極意であります。
それぞれ固有の人生があるように、それぞれ固有の朝・昼・夜・春・夏・秋・冬という四季(死期)がある。
清貧な生き方をすれば、それぞれ固有の朝・昼・夜・春・夏・秋・冬という四季(死期)がわかってくるのです。