第七十五章 死は随所にある

真の死は必ず復活する。
だから、悩みや苦、そして、死の恐怖に苛まれるような人生を送ることはありません。
偽の死は絶対復活しない。
だから、悩みや苦、そして、死の恐怖に苛まれる人生を送ることになります。
結局の処、悩みや苦、そして、死の恐怖は永遠性の問題に尽きるのです。
永遠性とは絶対性と言い換えてもいいでしょう。
従って、相対性が悩みや苦、そして、死の恐怖の正体と言ってもいいわけです。
自他の区分けをすることが相対性ですから、“他人が地獄”と言ったサルトルの考え方もある面では的を射たものと言えるでしょうが、所詮は自他の区分けの域を脱していません。
それでは、生きているということ自体が、悩みや苦、そして、死の恐怖に苛まれる根源ということになります。
死ぬということは、動きが止まることです。
生きるということは、動いていることです。
拙著「(静止)宇宙論」では、静止は絶対一元静止であり、運動は相対二元運動、つまり、静止・運動であり、決して絶対一元運動ではないことを強調いたしました。
絶対性とは絶対一元。
相対性とは絶対・相対二元。
従って、
死ぬということは、動きが止まることです。
生きるということは、止まると動くを交互に繰り返すことです。
結局の処、死ぬということは絶対死であり、生きるということは相対生・死であるわけです。
つまり、死が随所にある。
このことを理解すると、悩みや苦、そして、死の恐怖に苛まれることは一切なくなります。