第六十七章 義務と非義務

睡眠を義務的継続行為と捉えているか、非義務的継続行為と捉えているかによって、日々の約束事の内容が大きく変わり、あなた固有の自転周期、延いては、公転周期が決まる。
一日を三シフトに区分けして、その三分の一を仕事のために割く。
一日を三シフトに区分けして、その三分の一を睡眠のために割く。
一日を三シフトに区分けして、その三分の一を雑事のために割く。
仕事も睡眠も雑事もすべて義務的継続行為に他なりません。
わたしたち人間だけが勝手に一日を区分けしているから、義務的継続行為になるわけです。
他の生き物には一切の義務的継続行為はありません。
従って、彼ら固有の自転周期と公転周期は地球と同じですから、地球の一構成員、つまり、部品としての固有の寿命を守ります。
ライオンにはライオンの寿命、シマウマにはシマウマの寿命、それぞれ草木には草木の寿命があるだけです。
地球の一構成員、つまり、部品としての固有の寿命があるだけです。
ライオンの中での固有の寿命差はないし、シマウマの中での固有の寿命差はないし、それぞれの草木の中での固有の寿命差はありません。
それぞれの種によって寿命が決まっているのがその証拠です。
1000才まで生きるライオンもいれば、10才で死ぬライオンがいるのではなく、ライオンならおよそ20才がその寿命です。
1000才まで生きるシマウマもいれば、10才で死ぬシマウマがいるのではなく、シマウマならおよそ30才がその寿命です。
1000才まで生きるゾウもいれば、10才で死ぬゾウがいるのではなく、ゾウならおよそ70才がその寿命です。
1000才まで生きるタンポポもいれば、10才で死ぬタンポポがいるのではなく、タンポポならおよそ7才がその寿命です。
1000才まで生きるスギもいれば、10才で死ぬスギがいるのではなく、スギならおよそ300才がその寿命です。
1000才まで生きる人間もいれば、10才で死ぬ人間がいるのではなく、人間ならおよそ50才がその寿命です。
地球の一構成員、つまり、部品としての固有の寿命があっても、それぞれの固有の寿命があるわけではない。
その前提となる非義務的継続行為のみで生きているだけですが、それは地球に対する義務的継続行為であって、裏を返せば、自分に対する非義務的継続行為に他なりません。
一日を三シフトに区分けして、その三分の一を仕事のために割く。
一日を三シフトに区分けして、その三分の一を睡眠のために割く。
一日を三シフトに区分けして、その三分の一を雑事のために割く。
わたしたち人間だけが勝手に一日を区分けしているから、これは自分に対する義務的継続行為であって、地球に対しては非義務的継続行為に他ならない。
況んや、人間同士の中での義務的継続行為は更に身勝手な行為になる。
地球の一構成員、つまり、部品として完璧に生きている、つまり、全体感で生きている他の生き物は、眠くなったら眠る、お腹が空いたら食べる。
地球の一構成員、つまり、部品として完璧に生きていない、つまり、部分観で生きている人間は、朝になったら起きる、昼になったら食べる、夜になったら眠る。
他の生き物にとっての睡眠は非義務的継続行為ですが、人間にとっての睡眠は義務的継続行為に他なりません。
文明が発達した国の人間ほど睡眠薬がないと眠れないのは、睡眠を義務的継続行為だと思っているからです。