第六十六章 睡眠は日々の約束事か

あなたは唯一の約束事である自己の「死」を果たすために、一年という公転周期と一日という自転周期を繰り返している。
唯一の約束事である「死」に収斂する日々の約束事、年々の約束事こそが自己固有の公転周期と自転周期になる。
「死」という唯一の約束事のことを「永遠の眠り」と言っている。
日々の約束事の中で最も大事なテーマが眠りであることは、一生の約束事の中で唯一の約束事が「永遠の眠り」であるからに他なりません。
ここではっきりさせておかなければならないことがあります。
眠りとは必要悪である。
拙著「夢の中の眠り」のテーマは、眠りとは必要悪であるという点に収斂すると言っても過言ではありません。
わたしたちは、睡眠時間を健康のバロメーターにしている。
これは間違ってはいない。
わたしたちは、よく(多く)睡眠時間を採れることを健康のバロメーターにしている。
これはまったくの錯覚です。
わたしたちは、よい(少ない)睡眠時間で済ませられることを健康のバロメーターにしている。
これが正しい。
病気、つまり、病気の丙状態にいると睡眠を多く採る。
健康、つまり、病気の甲状態にいると睡眠は少なくて済む。
病気の甲状態と丙状態の間を円回帰運動(甲→乙→丙→甲→乙→丙・・・)が繰り返す中で、乙状態、つまり、普段の状態で生きているわけで、寿命が尽きていよいよこれから死に到る段になると、病気の丙状態から甲状態に回帰できず、「永遠の眠り」に就くわけです。
従って、生きている限り病気は付きものであり、病気の甲乙丙状態を繰り返すから医者に掛からなくても病気の丙状態は必ず病気の甲状態に戻る、つまり、治癒するし、寿命が尽きれば、いくら医者に掛かっても病気の丙状態から「永遠の眠り」に就くのですから、問題は寿命があるかどうかに掛かっており、そのバロメーターが睡眠時間の多少にある。
病気になると医者が、“よく(多く)睡眠を採るように”と言うのはまったくの間違いで、“よい(少ない)睡眠で済むように”と言うべきです。
対症療法が二元論の二重の錯覚に因るものであるからです。
健康と病気を別物とするからです。
生と死を別物とするからです。
つまり、好きと嫌いを別物とするからです。
結局の処、睡眠を義務的継続行為と捉えているか、非義務的継続行為と捉えているかによって、日々の約束事の内容が大きく変わり、あなた固有の自転周期、延いては、公転周期が決まるのです。