第六十二章 使命

生命の命を天職の命と捉えることによって自己の使命を知ることになり、自己の使命を知ることによって自己の寿命を知ることになり、自己の寿命を知ることによって自己の四季を知ることになり、自己の四季を知ることによって自己の死期を知ることができる。
地球からわたしたち人間に与えられた天職の命とは、地球の周りを公転せよということ、つまり、地球の部分観を認識せよということに他ならず、真の親は両親ではなく地球以外にない。
自己に与えられた天職の命とは地球の子であることの自覚であります。
従って、自己の使命とは地球の子を自覚して生きることに他なりません。
生きるための生命力は地球の重力であり、地球の重力によって生かされているのですから、地球の子としての自覚なくして生きることは出来ません。
命を使い切る使命とは、地球の重力を完璧に使い切ることに他なりません。
言い換えれば、潜在能力を100%発揮する生き方と言えます。
潜在能力を100%発揮できる生き方は完璧な生き方であります。
全体感の生き方と言ってもいいでしょう。
潜在能力を100%発揮できない生き方は不完全な生き方であります。
部分観の生き方と言ってもいいでしょう。
第三十六章「死の概念・死の観念」で、この世(宇宙)は「二元論」・「全体と部分の相対性の法則」・「在り方と考え方」の三つの法則が働いていて、他の生き物が「在り方」、つまり、全体感のみで生きているのに対し、わたしたち人間だけが「在り方と考え方」の分裂的な部分観で生きている結果、悩みや苦、そして、死の恐怖に苛まれるわけです。
死の概念を持つとは、「在り方と考え方」の分裂的生き方をする結果の産物に他なりません。
死の観念を持つとは、「在り方」の全体感的生き方をする結果の産物に他なりません。
従って、死の観念を持つとは、地球の「想い」である重力波と感応して生きることであり、必然的に、死期は自ら事前にわかるのです。
従って、死の概念を持つとは、地球の「想い」である重力波と感応しないで生きることであり、必然的に、死期は死ぬまでわからないのです。
悩みや苦、そして、死の恐怖に苛まれる人生を送るのは、真の親である地球の「想い」を理解していない結果である、と述べました。
全体感で生きる完璧な生き方とは、死の観念を持った生き方であり、死期が自ら事前にわかる完璧な死に方に繋がります。
部分観で生きる不完全な生き方とは、死の概念を持った生き方であり、死期は死ぬまでわからない不完全な死に方に繋がります。
従って、命を使い切る自己の使命を知ることは、完璧な生き方と完璧な死に方を可能にしてくれるのです。