第五十八章 はじめに死に方ありき

わたしたちは、どんな生き方をするかには腐心してきましたが、どんな死に方をするかにはまったく無関心で生きています。
誰でもよい生き方をしたいと思っている。
“いや!そんなことはない!自分はよい死に方をしたいと思っている!”
そう反論される特に歳を多く重ねた方にはいらっしゃるでしょうが、卵と鶏の順番が間違っている。
生と死の問題は、死が実在であって、生は死の不在概念に過ぎない。
従って、死に方がはじめにありきで、死に方によって、生き方が決まるのです。
“いや!そんなことはない!自分はよい死に方をしたいと思っている!”
そう反論される方が考えている死に方は、生き方がはじめにありきで、死に方はその結果であると考えているのです。
“よい生き方をしたら、よい死に方ができる”
第一章「よく生きること、よく死ぬこと」で申しました。
『今、ここ』を死ぬことが、よく死ぬことに他なりません。
詰まるところ、常に全力を尽くして生き切ることと言ってもいいでしょう。
よく生きることは、よく死ぬことに繋がるのです。
結局の処、
よく死ぬことが、よく生きることに繋がるのです。
死の問題の解決なくして、生の問題の解決は有り得ないのです。
従って、よい生き方をしたいなら、先ずよい死に方をすることに腐心するしか方法はありません。